生病老死。人間はだれしもこの運命から逃れられないが、できるだけ健康で長生きをしたいと願わない人はいないだろう。
いまから、2200年ほど前、秦の始皇帝が徐福という家臣に不老不死の薬を探してくるよう命じた。司馬遷の「史記」によると、徐福は供の者3000人を引き連れて東方に赴き、日本にたどり着いたという。このため、日本各地には徐福ゆかりの地が多い。
その一つ、九州の久留米大学に今春、「内藤文庫」という徐福研究の拠点ができた。同大学の森醇一朗教授が「徐福学」を提唱、中国との交流を進め、日中友好に活用しようと呼びかけている。これをきっかけに徐福の研究が進むと期待されている。
「徐福伝説」は、日本だけのものではない。古くから韓国にも伝わる。慶尚南道の南海島、釜山などにみられ、特に有名なのが済州島だ。徐福は東の海に蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)という三つの神山があり、そこに不老不死の薬草があると考えていたが、瀛州が済州島だといわれている。
数年前、済州島・西帰浦市の観光名所「正房瀑布」を訪れたとき、徐福が海に落下する23㍍の壮大な滝を見て感動し、絶壁に「徐福過之」と刻み、日本へ向かったという言い伝えを聞いた。西(中国)に帰らず、日本に行ったため、この地が「西帰浦」と呼ばれるようになったらしい。済州には徐福公園もあり、縁が深い。
徐福が実在の人物かどうかは定かではないが、中国には現在も子孫が暮らしている村が実在し、「徐福伝説」は限りなく古代のロマンをかきたててくれる。
昨年、韓日中の観光担当大臣が会合を開き、観光交流を活性化させるため、3カ国を周遊する共同商品の開発などに合意したが、その一つに「徐福史蹟巡り」を加えてみてはどうだろうか。「温故知新」ということばがあるが、3国関係の新たな発見につながるかも知れない。(G)