ここから本文です

2007/06/22

<鳳仙花>◆逆戻りない対北朝鮮「太陽政策」◆

 12月の大統領選挙へ向け動きが活発化している中、野党ハンナラ党の有力大統領候補、李明博(イ・ミョンバク)・前ソウル市長、朴槿惠(パク・クネ)・前ハンナラ党代表の両氏が同党の政策討論会で、対北朝鮮包容政策である「太陽政策」の原則維持を明確にした。ハンナラ党はこれまで太陽政策を批判してきただけに、大きな軌道修正である。南北対決の印象を与えては票を獲得できないとの計算が働いたのかも知れない。実際、「太陽政策を継続すべき」とする声が73%に達したとの世論調査結果がある。

 金大中政権は1998年の執権直後から対北朝鮮政策を「対決」から「対話」へと180度転換した。盧武鉉政権が受け継いで10年近くになり、これは国民共通のコンセンサス(合意)になっている。この間も南北関係には緊張要因が数多く発生し、昨年にはミサイル発射もあったが、以前のようには対話路線は揺らがなかった。

 逆に、38度線にあいた風穴は次第に大きくなっている。2000年に南北頂上会談が実現し、南北閣僚級会議など政府間会議が南北を行き来して頻繁に開かれ、交流協力が持続的に積み重ねられた。

 人的往来は年々増大、昨年には10万人を超えた(韓国から北朝鮮へが圧倒的に多く、北朝鮮からの訪韓はわずか870人にすぎないという問題はある)。金剛山観光が可能になり、韓国企業が北に進出して開城工業団地で生産を開始した。南北間を結ぶ2つの道路が開通し、南北鉄道も試運転を実施した。南北間の交易は昨年、13億㌦を超え、4年間で倍増した。太陽政策以前の南北対決時代には考えられないことばかりだ。

 西ドイツのブラント政権が1970年代に進めた東方政策で東西ドイツの交流が図られ、首脳会談を始め何百回にも及ぶ交流協力が積み重ねられた。ベルリンの壁が崩壊したとき、「殺戮や戦争が起きずに統一が実現できたのも、このような交流協力の積み重ねがあったからこそだ」という指摘もある。韓国大統領選挙の結果がどうなろうと、南北対決の時代に逆戻りすることは許されないことだろう。(S)