韓国の古代国家・百済(346~660年)は、日本に多くの文化を伝えた。「論語」と「千字文」を伝授したとされる王仁博士も、百済から派遣された学者である。
日本文化の原型と言われる飛鳥時代(6~8世紀)の文化も、百済から仏教が伝来して花開いた。
2000年12月に明仁天皇が、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本書記に書かれている」と語って、韓日のマスコミから注目を浴びたことがあるが、飛鳥と百済が一衣帯水の関係だったことを物語る事例は、数多い。
百済は、新羅と唐の連合軍の攻撃を受けて滅亡し、歴史的遺産や資料も大部分が焼失してしまったが、日本に亡命した百済人も多数いると史実にある。
その百済ゆかりの地である韓国の忠清南道と、飛鳥文化ゆかりの地である日本の奈良県が、今月3日に文化協定を結んだ。2010年に歴史文化祝祭「大百済展」を開催する忠清南道と、同年に「平城遷都1300周年記念行事」を行う奈良県が、様々な事業を協力して行うというものだ。
交通の便の問題もあり、これまでは韓国観光というとソウルや釜山が中心で、忠清南道方面に行く日本人は少なかった。しかし旅行に行った人からは、「何か懐かしさを感じる」との声をよく聞く。
逆に奈良など関西方面を旅行した韓国人からは、「百済と似た遺跡が多い」との声が、聞かれたものだ。両地方ともこれまでは、古代史に関心を持つ人の往来が中心だったが、それが一般観光客にまで及ぶことを期待したい。
今年4月、飛鳥寺の原型は、百済時代の王興寺であるという日本の調査チームの発表もあった。古代史への関心と研究が深まるとともに、それが両国の交流増大と相互理解に結びつけば、こんなに意義あることはないだろう。忠清南道と奈良県の取り組みに期待したい。(L)