1945年3月10日未明に起きた、米軍の東京大空襲をテーマにしたテレビ番組が相次いで放送された。その番組の一つに、東京大空襲に遭遇した写真家、故石川光陽さんが猛火の中で撮影した33枚の写真が紹介されていた。
「焼けて炭化した母子の遺体」「川に浮かぶ数え切れない死体」など、空襲の悲惨さがリアルに伝わってきた。
その東京大空襲の犠牲者の中に、大勢の韓国人がいたことを、どれだけの人が知っているだろうか。当時、日本全体では約200万人、東京にも約10万人の韓国人が住んでいた。彼らは差別と貧困の中で厳しい生活にあえぎ、各地で空襲の被害も受けたが、決して関心を集めることのない存在だった。
当時、荒川の南千住に家族で住んでいた母は、空襲から必死で逃げた経験がある。「死は身近なものだった」と以前よく語っていたのを、石川光陽さんの写真を見ながら思い出した。
東京大空襲では一夜にして10万人が犠牲になったとされるが、韓国人犠牲者の数については、まったく実態がわからなかった。強制連行真相調査団などの地道な調査で2005年、東京都慰霊堂の納骨堂に保存されている約7000人分の遺骨の中に、韓半島出身者が数十人いることがわかった。
その後も、深川にあった石川島造船所の寮にいた韓国人労働者が東京大空襲の犠牲になったことなどが判明したが、これまで氏名がわかったのは百数十人。数千人とも一説には1万人ともいわれる韓国人犠牲者の実態は、まだ不明のままである。
東京大空襲における韓国人犠牲者の追悼式が、市民団体などによって初めて行われたのは昨年3月、あまりにも遅すぎた追悼式だった。東京大空襲への再照明が行われる中、日本人犠牲者と併せて、韓国人被害者の実態究明、そして慰霊堂などにある遺骨の遺族への返還も実現するよう、切に願いたい。(L)