天災は忘れたころにやってくるというが、人災もまたしかり。ソウルの崇礼門(南大門)が10日夜、悪意の手による放火によって焼失した。南大門は韓国の国宝第1号に指定されており、創建から600年にわたって韓国の歴史を見続けてきた文化財が一瞬にして灰燼に帰したことは残念でならない。
朝鮮日報は社説で、「壬辰倭乱(秀吉の朝鮮侵略)、韓国戦争の戦禍をも免れ、600年の歳月を耐え抜いてきたソウルの玄関を平和の時代に灰にしてしまった」と断腸の思いを記した。ソウルのシンボルである南大門を失った韓国の国民の嘆きと怒りは、察して余りある。近くに観光名所の市場があり、ここを訪れる多くの日本人にとっても南大門は身近な存在だっただけに、心が痛む。
逮捕された放火犯の男(69)は、不動産取引の不満から火をつけたと自供しているが、この愚かな行為をなぜ止められなかったのか。警察の調べによると、警備が手薄でらくらくと侵入できたほか、火災報知器やスプリンクラーなどの防火設備が完備されていなかったという。今回の事件はずさんな管理体制が招いた人災ともいえる。
今回の事件で、1950年に京都で起きた金閣寺放火事件を思い出した。社会に不満を持つ見習い僧が鹿苑寺(金閣寺)に火をつけ、国宝の舎利殿(金閣)が全焼、寺を創建した室町幕府3代将軍、足利義満の木像(国宝)など貴重な文化財が焼失した。5年後に再建されたものの、国宝からは除外されてしまった。
南大門は、石造りの台座が残っただけで、木造の楼閣部分はほぼ全焼しており、復元されたとしても、その価値が半減してしまうのは否めないだろう。
文化財は一国だけでなく人類共通の宝であり、これを子々孫々に伝えていくのは現代人の義務だと思う。今回の南大門の焼失を教訓に、二度とこのような人災が起きないことを望む。(G)