先のゴールデンウィーク期間中に韓国初の新聞総合展示会というべき「新聞エキスポ」がソウル近郊のキンテックスで開かれた。激動の韓国近現代史を刻印した「歴史の証人」というべきその時代時代の新聞に多くの人が触れ、主催した韓国新聞協会は、新聞の「公共的価値」を再確認する場になったと総括した。これを機会に新聞の役割を考えてみたい。
新聞の起源は紀元前の古代ローマ時代に遡るが、社会の動きを定期的に報道する、今日でいう新聞は、17世紀初めの欧州で誕生したとされる。韓国では1883年10月、朴泳孝(パク・ヨンヒョ)ら開化派により創刊された「漢城旬報」(10日に1回発行)が最初の近代的新聞とされ、3年後には民間初の独立新聞が創刊された。
さて、いまはインターネットの発達などで情報過多の時代であるが、日々起こる出来事に対する価値判断がますます重要になっており、新聞は何を報じるかも問われている時代だ。例えば、木枯らし紋次郎役で有名な元参院議員の中村敦夫氏は、ずばり新聞は「大衆の大学」と位置づけ、100年以内に人類の存続をも脅かす環境問題を21世紀の第一義的テーマにして、根気強く教育的、啓発的報道が必要であると強調している。
これは、望ましい未来へ一歩でも近づけるような記事が大事だということであろう。つまり、新聞には大衆を教え導く役割があり、その意味で「社会の大学」である。今回のエキスポを見学したある言論人は、「青少年は新聞を通じて世の中と出会い、世界を知り、正しい価値観を打ち立てる」と新聞の重要性を強調していたが、まさにその通りだと思う。それを担い得るのはやはり質の高い新聞ではないか。
本紙は現在週1回発行の新聞だが、韓日経済・文化・スポーツは今後どのように交流し発展していくべきなのか、混迷する在日社会の座標軸をどう打ち立てるべきなのか、未来志向の韓日関係を阻むものは何なのか、隠れた真実を発掘して今後の方向性を伝えることに努力を重ねていきたいと思う。(S)