1945年3月10日、一夜で約10万人が犠牲になったといわれる東京大空襲。この東京大空襲に巻き込まれ、命を落とした韓国人の遺族2人がこのほど日本を訪れ、東京都慰霊堂で開かれた韓国人犠牲者追悼会に参加した。遺族の名は、黄秉煥さん(70)と金琴蘭さん(70)。黄さんの父・洙達さんは当時24歳、金さんの父・鳳石さんは32歳で、旧日本海軍の軍属として韓半島から徴用された後、深川の宿舎で空襲にあったという。
幼くして父を連れて行かれた黄さんは、母と妹と3人で戦後を生き抜いた。1枚だけあった父の写真も紛失し、父の思い出はすべて無くなった。金さんも、「すぐに帰ってくる。ランドセルを買ってくるから」と言う父と別れたのが最後だった。「父のことは考えないようにして生きてきたが、いま日本に来て、涙を抑えることができない」と話す両氏の思いは、いかばかりだろう。
2人の身元が判明したのは、日本の市民団体などの地道な活動の成果だ。東京都慰霊堂の7000人の犠牲者名簿から韓半島出身者約50人を割り出すなど、地道な確認作業を長年続けてきた。韓国の遺族が判明し来日したのは今回が初めてだが、実に64年の歳月がかかり、6歳の子どもが70歳になってしまった。
東京大空襲では、日本の遺族はこれまで「民間の犠牲者は国の非常事態のもとでは等しく受忍しなければならない」との最高裁判断により補償対象から外されてきた。しかし2年前、遺族と弁護士は「戦争被害の観点で平等に補償すべき」と訴訟を起こした。また「日本人だけでなくすべての被害者に補償をすべき」とも主張している。
東京大空襲当時、東京には判明しているだけで約9万7000人の韓国人がいたという。犠牲者の全体数はいまだに判明していない。日本人犠牲者はもちろん、韓国人犠牲者の実態調査と補償に向け、両国政府が協力してほしいものだ。(L)