「来日していないことを理由に被爆者健康手帳の交付と健康管理手当ての支給が認められないのはおかしい」――韓国在住の被爆者たちが処分取り消しを求めた裁判で、原告側勝訴(地裁)を受け、大阪府と長崎県が控訴を断念した。国の反対を押し切っての控訴断念だが、「早期決着」をめざしたもので、評価したい。
韓国人被爆者は約7万人といわれる(被爆直後に4万人が死亡)。問題は日本の被爆者と違い、補償を受けられず、被爆者手帳の交付と健康管理手当ての支給対象からずっと外されてきたことだ。支援団体や弁護士などの尽力で一部支給が認められたが、支給が認められないケースが続出し、裁判を起こさざるを得ない状況が現在まで続いている。
今回の原告の一人、鄭南寿さん(チョン・ナムス、89)は、広島で幼かった長男とともに被爆した。戦後、韓国に戻ったものの夫が急死、野菜売りをしながら息子たちを育てた。生活は困窮を極め、被爆の後遺症による体調不良にも苦しめられた。
その鄭さんが被爆者手帳を申請したのは、病院で寝たきりとなった2006年。しかし、「在外被爆者の手帳交付には来日が必要」と却下されたため、韓国在住でも手帳交付を認めるよう訴訟を起こし、昨年11月に勝訴した。その1カ月後に被爆者援護法改正(来日要件を撤廃)で手帳が交付され、ずっと握り締めていたという。鄭さんは5月25日に老衰で死去。被爆者手帳を持つことが出来たのは、わずか4カ月間だった。
実はこの鄭さんの死が、大阪・長崎の控訴断念につながった。しかし、「なぜ生前にできなかったのか」と、長男の姜碩鍾さん(カン・ソクジョン、69)や支援団体は悔しさを抑えられなかったという。同様の訴訟はまだ広島で残っている。これ以外に、未払い分の健康管理手当ての支給を求めた集団訴訟も継続中だ。被爆者の高齢化が進む中、国と自治体は問題の先送りをやめ、世界の眼と後世に恥じないよう、解決に努めるべきだろう。(L)