少年の頃から狩りを好み、銃の名人である軍人、義兵運動に参加した独立運動家、熱心なクリスチャン、教養にあふれた教育者。1909年10月、日本の韓国統監府初代統監の伊藤博文を旧満州のハルビンで射殺した安重根には様々な顔があるが、共通しているのは、その高潔な人柄に多くの人が好感を抱いたことである。
安重根を取り調べた日本人の検察官は、「あなたは東アジアの有徳の人である」と語り、また特別看守を命ぜられた千葉十七憲兵は、その人柄にうたれ、生涯にわたって安を追悼したという。独立運動家としての信念・知性、クリスチャンとしての人間愛・人類愛が共存しているのが、その魅力の源泉のようだ。
安重根は韓国では独立運動の義士だが、日本では伊藤博文を暗殺したテロリストであり、研究者や韓国に関心を寄せる市民などを除けば、それほど知られてはいない。しかし事件から100年を迎え、安重根の思想と行動を明らかにすることで、今後の韓日友好に貢献できないかという動きが出ている。
例えば、安重根が獄中で執筆し未完に終わった「東洋平和論」。「(当時の)欧米列強の侵略と収奪に対して、(韓国・日本・中国の)東洋三国が共同対処しなくてはいけない」との主張の先には、「人類が平和に仲良く暮らす理想郷の考えがあった」という。ある韓国の学者は、「国家の枠を超える共同体の理念を、100年前に安が出していたもので、再評価する必要がある」と語っている。
総合誌「世界」10月号では、「安重根はなぜ伊藤博文を狙ったのか」と、その動機を探るべく、「東洋平和論」を全文初訳して掲載している。また、「安の東洋平和の遺志を現代に伝えたい。日本からソウルの安重根記念館に向けて2200㌔を行進する」と表明する日本人男性まで現れた。
安の思想・行動に再照明する動きが活発化することを期待したい。(L)