司馬遼太郎原作のテレビドラマ「坂の上の雲」の放送が始まった。ここで描かれた日露戦争に至る経緯には異論もあるようだが、「明治」という時代を生きた若者群像を理解できるということで楽しみにしている。
そのドラマの主人公の一人である秋山好古(1859~1930)は、学校教師から軍人となった人物だ。日本騎兵の父と呼ばれ、日露戦争で活躍、陸軍大将にまでなったが、その軍人としての功績よりも退官後の人生が興味深いことを、先日NHK地方局がドキュメンタリーとして放送していた。
エリート軍人であり、1916年には朝鮮駐留軍司令官も務めた秋山は、元帥推薦の話をことわり、1924年、故郷の愛媛県松山に戻って中学校校長に就任した。その前年にあった関東大震災時の朝鮮人虐殺に触れ、「朝鮮の人が東京を焼くことなどありえない」と語ったという。そして当時としては異例の、日本統治下にあった朝鮮への修学旅行を実施した。
生徒たちによる「李王朝の建物の立派さは、朝鮮文化の水準の高さを示している」「日本は遠からずして植民地の問題を考えないといけない」などの感想文が残されているが、秋山が朝鮮の歴史と文化に感銘を受け、それを生徒に伝えようとしたことが推測される。
軍国主義が進み、朝鮮に対する差別意識が大きくなっていった時代、秋山はせめて教え子には、民族共生と平和を尊ぶ青年に育ってほしいと願っていたのかもしれない。
時代はその後、逆方向に進み、日本と韓半島の人々に多大な犠牲をもたらしたが、この秋山好古や、独立運動を支援した布施辰治弁護士、植民地教育を批判した上甲米太郎教師のような人物もいたことは記憶にとどめたい。
こういう人たちの存在が両国でもっと知られることは、意義あることだと思う。(L)