国運上昇。これが今年の韓国のスローガンのようだ。今年11月にG20(主要20ヵ国・地域)首脳会議がソウルで開かれるが、李明博大統領はG20の誘致成功を「国運が上昇する画期的なことだ」と表現し、昨年暮れにUAE(アラブ首長国連邦)から400億㌦規模の原子力発電所プラントを受注した時も「国運が開かれた」と叫んだ。新年の韓国マスコミ論調にも、そのような上昇志向への強い意気込みがみられる。
中央日報は、「2010年の大韓民国は、辺境から世界の中心に向けて行進する年」と位置づけた。朝鮮日報は、ソウル五輪前後に誕生したグローバル世代には「我々は何でもできる」との肯定の力があるとして、「世界の先頭」に立つ気概を固めようと主張した。韓国経済新聞は、「韓国は昨年、援助を受ける国から他の国に助けを与える国に変わった。韓国の若者たちはフィギュア、ゴルフ、サッカー、野球など国際スポーツ舞台で活躍している。全世界でこのように劇的に発展した国はない」として、世界に雄飛するため新たな100年を準備しようと呼びかけている。いずれの論調にも自信感の高まりを感じるが、自己中心に陥ってはなるまい。
大統領傘下の国家ブランド委員会の「国家ブランド指数」調査によると、韓国はOECD(経済協力開発機構)30カ国中、科学・技術(4位)、経済・企業(13位)は上位だが、市民意識は最下位圏の27位だった。経済に比べ文化水準に厳しい点がつけられた。毎日経済新聞は、先進韓国をつくるためには成熟した市民意識が伴わなければならないと指摘。企業の閥族的支配構造や社会的マナー、例えば「韓国観覧席は時にサッカー場のようになる」(フィギュア女王のキム・ヨナ選手)の発言や「韓国より下だと見なす国を無視・軽蔑する態度」を問題にしている。
確かに、100年前の韓国は世界の辺境というべき存在だったが、いまは国際社会の表舞台に立っている。奇跡的な経済成長がそれを可能にしたが、国運上昇を確かなものにするためには、指摘されるような意識改革も進めるべきだろう。(S)