劇作家のつかこうへい(本名・金峰雄/キム・ボンウン)さんが10日、肺がんで亡くなった。今年初めにがんを公表し、闘病生活に入っていたが力尽きた。62歳の死は余りにも早すぎる。
「つかこうへい」というペンネームは、「いつか公平な世の中に」との思いから、平仮名にしたのは、漢字を読めない母のためだったという。
つかさんは、慶応大学在学中から演劇活動に取り組んだ。小説『蒲田行進曲』が82年に直木賞に選ばれ、映画化もされて大ヒットを記録した。強者と弱者の生き様を描き、怒りをぶつける場のない脇役たちにスポットを当て、強烈な印象を残した名作だ。
社会的弱者とされた人たちを主人公にした背景には、自らの在日ゆえの疎外感があったのだろう。
在日であることを公言することはなかったが、『蒲田行進曲』がヒットした頃から、周囲に在日であることを語り始めた。40歳になって初めて自著「娘に語る祖国」で、福岡出身の在日2世であることを公表した。被差別体験や、祖国・韓国への複雑な思いなどを述べ、自分が韓国籍で生きるのは「意地」だということを語っている。
つかさんは96年、『売春捜査官』で初めて在日を描いた。社会からスポイルされた在日青年を登場させ、差別語を多用することで、差別の醜さを観客に知らしめた。
彼の作品は社会の矛盾を鋭く突き、日本演劇界に旋風を起こした。在日であることがバネになったのは間違いない。
つか作品は韓国でも翻訳・上演された。つかさんに弟子入りする韓国人俳優も多く、新作の韓国公演も計画していた。韓日の演劇発展と交流を願っていたが、それも夢半ばとなったことが残念でならない。
「日本と韓国の間、対馬海峡あたりに散骨してほしい」との遺書を家族に残した。最後まで在日の意地を示し、狭間を生き抜いた生涯だった。合掌。(L)