「韓国のヒロシマ」と呼ばれる地を聞いたことのある方も多いだろう。大邱から南西に約60㌔、慶尚南道の陜川郡である。広島や長崎で被爆した韓国人は現在約2600人が生存しているが、そのうち約600人がここで暮らす。
植民地時代、当地から広島に渡り、被爆後、故郷に戻った人が多かったためで、そのため「韓国のヒロシマ」と呼ばれるようになった。
その陜川郡にある陜川原爆被害者福祉会館・慰霊閣前で6日、被爆者本人と被爆2、3世、陜川の住民らによる慰霊祭が初めて開かれ、追悼写真展や被爆者の講演会などを通して反核の声をあげた。
強制連行や徴用などにより広島・長崎で働いていた韓国人は約7万人が被爆、そのうち4万人が直後に亡くなったとされている。韓国には2万数千人が戻ったが、被爆者とその家族たちはいわれなき差別と後遺症、さらに国籍を理由に日本政府の援護対象から外されるという三重苦を味わい、自ら声を上げることは少なかった。
そんな韓国人被爆者が今回反核を訴えたのは、2年前のオバマ米大統領のプラハ演説で世界的な反核のうねりが起きたこと、今年3月の東日本大震災による福島第1原発の事故が大きかったという。
「被爆の苦しみは私たちだけで終わりにしてほしかったが、福島の事故が起きた。一日も早く解決し、核の無い世界を作ってほしい」。ある韓国人被爆者の遺族の声だ。
福島第1原発の事故以後、世界中の被爆者がこれまで以上に反核平和を呼びかけており、韓国人被爆者もその隊列に加わったものだ。
3月に駐広島韓国総領事に着任の辛亨根(シン・ヒョングン)さんも被爆2世で、父の故辛永洙(シン・ヨンス)さんが原爆症に苦しむ姿を見て育った。辛総領事は、「語り継ぐことの大切さ」を実感したという。韓日両政府は韓国人被爆者の無念に報いるべく「反核平和」に積極的に応えてほしい。彼らの声を記録し、世界に伝える役割も担ってほしい。(L)