生後数日で路上に放置された捨て子から、フランス新政権のIT担当相になったフルール・ペルラン氏(39)の数奇な半生は、韓国でこの半世紀続く海外養子の光と影を映し出した存在といえるだろう。
同氏を引き取ったのは、クリスチャンで学者の家庭だった。高等教育を受け、本人も才能を発揮して仏閣僚にまで上りつめた。しかし、いかに愛情を受けても、容貌がアジア系の女性が養父母の家庭でどれだけの葛藤を持って育ったかは、想像に余りある。
同じように9歳のときにフランス人家庭にもらわれた女性で、自らの生い立ちを映画化した『冬の小鳥』の監督、ウニー・ルコント氏から話を聞いたことがある。アイデンティティーに悩んだ青春時代、映画が韓国で公開されたことで母と再会できたが、喜びにはつながらなかったことなどを、淡々と語っていた姿が強く印象に残っている。
話題になった韓国人の海外養子ではこのほかに、06年トリノ冬季五輪スキー競技男子モーグルで銅メダルを取った米国のトビー・ドーソン氏(32)もいる。「五輪でメダルを取って有名になって実の親に会いたい」と願ったドーソン氏は、その望みどおり母国・韓国で父親と再会を果たしたが、自らの人生の肯定には時間がかかったという。
1950年の韓国戦争の混乱で子供達を育てられなくなった親が、海外養子に出すケースが増えた。減少はしたが現在も年間1000人ほどいる。この60年間で20万人に達した。成人して韓国へルーツ探しに来た人たちも多いが、ウニー・ルコント氏やトビー・ドーソン氏の例は極めて珍しく、再会が実現しなかった例が大多数だという。
韓国ではこの間、成人した海外養子のアイデンティティー確認への協力、韓国と移住先をつなぐ人材として評価する一方、海外養子を作り出さない福祉政策の充実、韓国内での養子縁組の促進などが論議されているという。具体的対策を進めてほしい。(L)