19世紀後半、農地不足と支配層の収奪で飢えに苦しんでいた咸鏡道の朝鮮人が豆満江を渡ってロシアの地を踏んだ。当初は「朝鮮人」、後に「高麗人」と呼ばれる彼らがロシア側文書に正式に登場するのは、1864年9月21日のことである。その移住150周年を記念して、ロシアで来年9月、中央アジアの高麗人らと一緒に記念行事が開かれる。いま準備の真っ最中という。成功を期待したい。
高麗人は現在、ロシア・ウズベキスタン・カザフスタンなどに分離して約50万人が暮らしている。旧ソ連の崩壊という混乱を乗り越え、経済発展した最近になって生活が落ち着き、経済、芸術、教育、医療など多くの分野で人材を輩出している。
バンクーバー五輪フィギュアスケートのカザフスタン代表を務めたデニス・テン選手も高麗人だ。一方、モスクワには、今年中に大規模な韓国文化・ビジネスセンターが完工するという。高麗人の長年の努力の賜物だろう。
極東地域に住んでいた高麗人が中央アジアに移ったのは1937年、「日本のスパイがいる」と恐れたスターリンによって、約17万人が極東から中央アジアに強制移住させられた。高麗人は食べ物も住居も無いまま厳冬を迎え、凍死・餓死した者も多かった。そんな苦難の歴史を経て、現在の高麗人が存在している。
150周年行事を準備するチョ・バシーリ・ロシア高麗人連合会会長は、89年にロシア連邦議会国家院議員に当選するなどロシアの主流社会で成功したが、「常に韓半島を記憶して生きてきた。南北とロシアを結びたい」と語っている。
在日コリアンが韓半島と日本との友好を願い、懸け橋的存在を目指したのと共通する部分がある。民族文化をどう継承し、次世代に伝えていくかという課題も在日社会と似通っている。移住150周年を契機に、高麗人の歴史に思いを馳せてみたい。(L)