西ドイツ(当時)への派遣労働者第1陣が出発してから、来月でちょうど50年になる。韓国政府は記念式典の準備を進めているが、韓国民、そして海外同胞が決して忘れてはならない、韓国現代史の一コマといえるだろう。
労働力不足の西ドイツに、派遣労働者の第1陣123人が金浦空港から飛び立ったのは、1963年12月21日のこと。以後1977年まで約7900人の炭鉱労働者と、約1万1100人の女性看護師が働いた。
男性たちは地下1000㍍、気温40度、粉塵が充満する炭鉱で石炭を掘り続けた。一方、女性たちは言葉の問題もあって韓国での看護師資格は認められず、大多数は下働きに従事した。ベッドの整頓やトイレ掃除、死体洗いなどだ。その苦労はいかばかりだったろう。
当時の韓国は、韓国戦争が休戦してから10年ほどで、国連加盟国約120カ国のうち、1人当たりの国民所得が最下位圏と、国全体が貧しかった時期だ。有名大学を卒業しても韓国では仕事が見つからず、応募が殺到したという。
ベトナム戦争に従軍した兵士たちが命を賭けて外貨稼ぎに尽力したのと同じく、独派遣労働者も外貨を稼ぎ、韓国の経済復興に尽力した。朴槿惠大統領も今年3月の就任演説で、その努力を改めて称えた。
今年5月には、ソウル市内に西独派遣労働者の記念館がオープンして、静かな注目を集めた。ドイツから家族にあてた手紙や、当時の作業着・道具類などのほか、炭鉱事故で障害を負ったり、一酸化炭素中毒の後遺症にいまも苦しむ人たちの姿、また在独同胞社会の礎となったことも紹介されている。
50周年を契機に彼らを国家有功者として称え、その不屈の精神を継承したい。また彼らが外国人労働者として苦労したことを反面教師に、韓国の外国人労働者の人権尊重にもつなげたい。(L)