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2013/04/05

<鳳仙花>◆「漢江の奇跡」の初心に学ぶ◆

 韓国の経済発展は「漢江の奇跡」と称されたが、その秘密を解く上で興味深い証言がある。1964年末、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が西独に国賓訪問した時の通訳官だった白永勲氏(ペク・ヨンフン/当時・中央大学教授、現・韓国産業開発研究院長、83)の回顧談だ。最近の東亜日報に詳細に掲載されているが、感動で涙が出そうになる内容だった。

 約50年前、朴正熙大佐は、クーデターで政権を握った。だが、経済は意欲だけでなるものではなかった。何よりも資金がない。借款を要請したが、米国も貸してくれなかった。注目したのは当時「ラインの奇跡」と呼ばれる成長を遂げた西独だ。しかし、借款団を派遣したが、アフリカの最貧国のような国だから門前払い同然だった。

 使節団の一員だった白氏は、恩師の大学教授に協力を頼んだが、無理だといわれ、それからは会ってもくれなかった。それでも1週間毎日朝6時に訪ね、玄関に出た夫人に涙を流しながら「助けて下さい。長官に会えるようにして下さい」と訴えた。このような執念が実り、使節団は商業借款導入に成功したが、支払い保証してくれる銀行がなかった。国家信認度がないためだ。だが救いの神はいた。

 当時、西独は鉱夫不足に悩んでいた。地下深く坑道を掘り進む過酷な作業のため、パキスタン、トルコの労働者も逃げ出してしまった。鉱夫を5000人、そして看護師も2000人送れるかといわれた。彼らへの給与を担保に支払い保証することになった。

 白氏は当時のことを思い出し次のように語った。「地下1000㍍でも時間外勤務をためらわずに働く韓国人鉱夫たちの姿がテレビ放映されるや西独の人たちは大きな感銘を受けた。国会でも韓国に関心を持ち、これが朴大統領の国賓招待に繋がった」

 白氏はこう振り返った。「故郷を離れ、言葉も通じない土地で働いた鉱夫と看護師たちの献身がなければ、我々はお金も借りられず、経済発展もなかった。私は今日の韓国を作った韓国人を本当に誇りに思う」このような「漢江の奇跡」を実現した初心を胸に刻んでおきたい。(S)