故朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の経済開発計画を陣頭指揮し、「漢江の奇跡」の立役者となった南悳祐氏が死去した。享年88歳。彼は、貧困克服と経済発展を宿願とした故朴大統領の分身のように高度成長実現に献身した。霊前には多くの人が訪れているが、朴槿惠大統領も弔問し、「貧困から脱却するのに残した足跡は計り知れません。第2の漢江の奇跡を実現するためにベストを尽くします」と誓った。改めて、故人の功績を偲びたい。
南氏は、西江大学教授に在籍中だった1969年、故朴大統領に呼ばれ、財務部長官に電撃的に任命された。南氏はそれまで政治とは関係のない一介の経済学者だった。むしろ、第2次経済開発5カ年計画(67~71年)評価団会議で苦言を呈するなど政府政策に批判的だった。だが、これを聞いた朴大統領は関心を示し、「批判ばかりしないで、一度自分で思う存分やってほしい」と異例の抜擢となった。
朴正熙政権下で財務部長官(69~74年)と経済副総理兼経済企画院長官(74~78年)など9年間にわたり韓国経済の指令塔として、2ケタ成長を実現した。77年に輸出100億㌦、78年には1人当たり国民所得1000㌦を突破した。いずれも途上国で初の快挙だ。また、私債(闇金融)市場の凍結、企業公開の推進、付加価値税の導入、重化学工業の育成など重要な経済改革を断行した。
特に、欧州で学んだ付加価値税を1977年に実施して脆弱な税収基盤を確立するなど、経済の制度的土台のほとんどは彼の手でつくられた。
南氏の経済学は、先発展・後分配だ。まずはパイの拡大が分配に優先するという考えだ。福祉を置き去りにしたという批判もあるが、彼がいなければ今日の韓国経済はありえないと評価されている。
南氏は、経済を先進化するにはどんな政策をとらなければならないのか、いつも座標を提示した。後輩の司空壹(サゴン・イル)元長官は、「故人は国家の未来を考え、自己管理と勉強を怠らなかった」と振り返った。現在は厳しい経済環境にあるだけに、貴重な手本でもある。合掌。(S)