韓国社会が深い悲しみと無力感に覆われている。「なぜ若い命がこんなにも奪われなければならなかったのか」「韓国は先進国ではなかったのか」。その自問自答は海外コリアン社会でも続いている。
韓国南西部の珍島(チンド)沖で16日、旅客船セウォル号が沈没した事件は、未曾有の大惨事となった。その大半が修学旅行中の京畿道・安山の高校生だった。
珍島の港には乗客の家族が大勢集まって捜索を見守っている。しかし沈没現場で新たな遺体が収容され、身元が判明するたびに、家族の泣き叫ぶ姿が繰り広げられる。あまりにも悲しい光景だ。
定量オーバーのコンテナと自動車を無申告で積み込み、荷の固定も不備。入社間もない3等女性航海士に、危険な海域の操船をまかせたまま、船長は休息していたという。
事故が起きると、旅客には船内待機を放送しながら、船長と一部乗組員は真っ先に救助船に乗り込む。そして乗務員に対し、安全対策をきちんと訓練しなかった船会社 。
「人命軽視」の負の連鎖が、今回の大惨事を招いた。あまりにも腹立たしい。
韓国では90年代半ば、聖水大橋崩壊、三豊百貨店崩壊、西海フェリー事故などの大惨事が相次いだ。どれも安全性を軽んじたことによる大事故で、韓国社会には激震が走り、災難管理法などの制定につながった。しかし、それから20年を経て、いまも大惨事は繰り返されている。教訓は生かされてこなかった。
韓国ではいま、「私たちは三流国家」「安全不感症の国だった」など、これまでの歩みを猛省する言葉が出ている。その自戒を今度こそ具体的改革に結びつけなくてはならない。国民一人ひとりが意識を改革し、安全軽視の風潮や慣行を打破する、そして安全重視のシステムを、国の総力を挙げて作り出してほしい。
それが尊い犠牲と遺族に報いる、唯一の道ではないだろうか。(L)