第2次大戦後の戦犯裁判で死刑判決を受け、その後日本政府に対して救済を求めてきた在日韓国人元BC級戦犯、李鶴来さんが先月28日、くも膜下出血のため死去した。享年96歳。韓国人元BC級戦犯最後の生き残りだった。
李さんは、17歳のときに日本軍の軍属としてタイの捕虜収容所に派遣され、鉄道建設現場で監視に当たった。戦後、シンガポールで連合国が開いた裁判で捕虜虐待の罪に問われ、死刑判決を受けた。当時、148人の韓国人青年が「日本人戦犯」として死刑判決を受け、23人が処刑された。幸い、李さんらは減刑され、巣鴨刑務所に移送された。56年に仮釈放されたが、生活の糧すらない。韓国に帰りたくとも「戦争協力者」のレッテルを張られ、村八分にされるため帰れない。さらに、韓半島出身者は日本国籍を失い、日本政府からの遺族年金など援護の対象外とされた。
苦労の末、日本人耳鼻咽喉科医師の故今井知文氏の財政支援も受けタクシー会社を設立し、経営基盤を確保した。そして、韓国人元BC級戦犯らとともに「同進会」をつくり、「日本人戦犯には恩給や慰謝料を給付しているのに、なぜ外国籍戦犯を差別するのか。当時は日本人軍属として働いた。差別するのは不条理だ」と救済と名誉回復を訴えてきた。91年からは裁判闘争に入ったが、最高裁で敗訴。その際、「適切な立法措置」を講じることが求められ、08年に民主党により救済法案も作られたこともあったが、審議すら入れず廃案になった。
李さんとは何度かお会いしたが、理路整然とした語り口で、決して過激な物言いはしない。最大の支援者である内海愛子・恵泉女子学園大名誉教授は「その悔しさ、無念の思いに触発された」と語っていたが、60年以上も一貫して運動を続けてきた精神力は並大抵ではないと思う。
つづきは本紙へ