◆サムスンの命運握る一大プロジェクトに◆
1980年代、中国政府が改革開放路線を歩み始めた頃から、韓国企業は香港経由を中心とした迂回輸出による対中貿易を拡大していった。
89年の天安門事件のときに、対中輸出は一時ストップしたが、92年8月の韓中国交正常化を契機として韓国企業による中国進出は本格化していった。
92年サムスン電子は、中国・広東省に恵州三星電子有限公司を設立し、香港経由の輸出から現地生産へと踏み込み、ほぼ同時に天津など韓国と地理的に近いところに生産拠点を構築していった。97年のIMF危機から数年間、中国を含む海外事業は停滞していたが、2000年以降、再び対中進出は積極化していく。
中国における一貫経営体制という全体像の輪郭が見え始めたのは、04年にWCDMA(第3世代携帯電話の通信方式)合弁公司の設立、成都・瀋陽に販売支社の設立、南京に中国半導体研究開発センターの設立、上海・北京・広州販売支社の設立、上海にグローバルデザイン研究所の設立など相次いだ時からである。
さらに05年に「三星中国」という社名から「中国三星」という中国への現地化を強くアピールした社名を変更し、この時を境に中国事業は、サムスン電子の命運を握る一大プロジェクトへと変貌していく(図表1)。
中国三星は現在系列企業23社から構成され、サムスン電子の中国事業の売上高は、11年に23・1兆ウォン(前年比マイナス4・9%)であった。過去3年間の売上高はやや低迷しており、11年の全体売上に占める中国の割合は14%まで低下している(図表2)。
現在、サムスン電子の主な生産拠点は、天津・威海の中国東北部、蘇州・寧波の東部沿岸、東莞・深圳・恵州の南部沿岸などに集中している。天津はサムスン電子のテレビ・携帯電話・モニター・カメラ、蘇州はLCD・ノートブック・白物家電・半導体後工程ライン、深圳・恵州は携帯電話の生産拠点となっている。今年に入ってからも生産拠点の拡大は続いている。
サムスン電子は中国西部地域(陝西省西安市)に初めて、10ナノ級のNANDフラッシュの工場建設を決定し、今後数年間に合計70億㌦を投資する計画である。2013年末から10ナノ級のNANDフラッシュを本格的に生産する。
陝西省西安市は、中国政府が推進中の西部大開発計画の戦略的な要衝地のため、電気、水など産業インフラも整備されている。西安市周辺にグローバルIT企業の生産・研究拠点が集積しており、サムスン電子は顧客への迅速かつ効率的な対応を可能とし、しかも現地の優秀な人材の獲得にも有利なロケーションである。
サムスン電子の西安市進出には、半導体工場用地(30万坪)を無料提供される他、保税区域指定による税制上の優遇、韓国人専用の居住地プロジェクト、サムスン半導体工場周辺の専用道路の建設など、中国側から破格の条件が与えられている。
中国は先端技術の集積地を西安市に構築することにより、中国が抱える沿岸部と内陸部の地域格差問題と若者の大量失業問題の緩和策として大いに期待している。