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2012/09/14

<Korea Watch>サムスン研究 第15回 成果主義と創造経営のジレンマ                                                 日韓産業技術協力財団 石田 賢 氏

  • 日韓産業技術協力財団 石田 賢 氏

◆独自製品・事業志向で試練に直面も◆

 サムスングループが人材育成で特に力を入れているのが、企業の中核となるリーダーの養成である。サムスンが当初参考にしたのは、ゼネラルエレクトリック(GE)のリーダーシップパイプラインモデルである。このモデルは初級管理者から中間管理者までを6段階に分けてリーダーシップを養成するもので、各段階で優れたリーダーシップ能力を発揮した者だけが、最高経営責任者(CEO)への道が切り拓かれる。

 GEの経営管理手法が導入されたキッカケとなったのは1997年のIMF危機であった。このときサムスングループは自動車事業などを手放し、組織の大改造を行った。最大の組織改革は、99年にGBM(グローバル・ビジネス・マネジメント)制度を導入して、権限と責任の明確化を図ったことである。GBM制度の下では、事業部長が製品開発からデザイン、製造、マーケティングまですべてをコントロールする強い権限を持つ一方、在庫から最終損益まですべてが事業部長・CEOの責任となる。これが今日までサムスンにおける経営管理の根幹となっている。

 具体的には2009年1月、リーマン・ショック後の危機管理体制として、サムスン電子は、部品中心のデバイスソリューション(DS/Device Solution)とデジタルメディアと製品中心のデジタルメディア・コミュニケーション(DMC/Digital Media&Communications)等の2部門―10事業部に再編した際、全役員のうち業績の悪いボトム20%が退職となり、残り80%の役員の3分の2が配置転換という史上最大の「総入れ替え」を実施した。

 またサムスン電子は、11年9月に業績の悪化が目立ったLCD(液晶ディスプレー)事業部の組織改編を断行し、このとき10人余りの役員は、年末まで自宅待機または非常勤に降格処分を受けた。12年4月、LCD事業部はサムスン電子から切り離された。責任の所在が明確であるということは、役員は事業に失敗すれば当然クビであるが、上席部長クラスでも毎年の成果を出せず、目標に未達であれば処分対象となる。激しい社内競争を勝ち抜いて新任役員になると、彼らは毎年1月中旬に5泊6日の合宿教育を受ける。最終日には、新羅ホテルで夫婦同伴の晩餐会があり、晩餐会が終われば新羅ホテルで1泊して帰宅する。

 サムスンの役員教育は、役員候補を選別したときと同様、GEの経営システムを参考にして、韓国で最初の体系的なリーダーシップ養成課程となっている。実際、GEのコンサルタントを招聘してカリキュラム設計も行われた。当初、欧米の理論と教材を土台としていたが、07年以降、これでは韓国人の特性を十分活かせないとの判断から、韓国型リーダーシップの教育へと修正していった(図表)。

 最近、サムスングループは、新任役員に最優先の価値観として、「未来精神」を強調している。これは李健熙会長が、「新しい10年を準備しなければならない」として「新任役員は率先して現場で実現してほしい」という発言から始まったといわれる。特に、創造経営の精神が重要視され、新任役員の役割は「危機を機会に変える人」と定義された。すなわちサムスンの役員は、5年、10年を見通す洞察力で、変化を先取りする能力を備えていなければならない、と解釈されている。

 サムスングループの役員に昇進すると処遇が大きく変わる。役員に昇進すれば、年俸が部長の時より2~3倍になり、3000cc未満の自動車が会社から支給される。自動車の保険、ガソリン代なども会社負担である。また個人が使用できる法人カードも支給され、役員室も与えられる。

 サムスンのリーダーには、短期的な成果を求められると同時に、他社に無い創造性のある事業や新製品を生み出す能力も求められる。サムスンは、徹底した成果主義を浸透させる一方において、新しい領域を間断なく創造していくという二兎を追っている。半導体からスマートフォンまで世界のトップに躍り出た現在、他社に追随する事業展開から、創造経営によりサムスン独自の新製品・新事業へ志向した時、これまでの高収益を持続できるかどうか、大きな試練に直面しよう。