◆不足する30―40代の「国や社会への貢献意識」◆
経営哲学の定義は漠然としている。ここでの定義は、おもに企業経営者の価値観、倫理・道徳観などをふくみ、「経営の実践をとおして、国や社会に税金の支払いなどで貢献し、人びとに生活価値を提供することは、善(善いこと)であり、その善を積む」ための経営者の「態度や行動の精神的な規範」となる考えかたである。経営哲学には、「温故知新性」と「経路依存性」がある。経営哲学の歴史を学ぶ意義は今日のそれをよく知るためといわれる。つまり、今日の経営哲学に過去のそれが反映されているからである。
今なぜ経営哲学なのか?企業は、時代とともに有為転変する世界の政治・経済・社会文化・技術・環境という文明システムの恩恵をうけている。恩恵を自社の事業領域にとりいれて最適化し、「独自の顧客価値の創造」と「経営効率・生産性の向上」を切れ目なく実現することで成長を持続していく。その営為が、国の経済力のエンジンとなり、よりよき文明の進化を担う。そして、顧客価値・生活価値を提供して人びとの生活文化を育み深める。だから、企業経営には、変化する文明システムの恩恵である科学知識と実践知識をかけあわせた経済合理的な判断力、そして、時代の「善きこと」を射抜く哲学的な判断力の両方を統合した、連続した経営意思決定とその実践がもとめられる。そのうえで、企業が売上と利益の持続成長をめざすのは「先義後利(国や社会、人びとへの貢献の結果)」として、国や社会からみとめられ、その企業や経営者は人びとの尊敬をうける。
江戸時代の商人の職業倫理・実利道徳だった商人道は、「世のため・人のために役立つ商売をして得られる利益は武士の家禄とおなじだ」と説いた。当時は商売で利益を得るのは最も卑しいこととされ、だから、商人の身分は最下層に置かれていた。卑しい商売を正当化するために、「武士に武士道があるように商人に商人道あり」と自己主張する必要があった。政治と経済の両輪で国力を支える今日でも、企業経営が経済の根幹であるが、企業の多くが、世のため人のために貢献するのは正義であり利益はその余沢であると教える「三方よし」「先義後利」の商人道の警句を経営理念にしている。
経営哲学には時代を越えても変化しない部分(不易)と時代とともに変化する部分(流行)がある。戦後、バブル崩壊前までの日本の産業化社会では、経済成長を最優先した時代の特殊的な要請があり、金太郎飴のような同質の社員を抱えた多くの企業が、社員の団体戦で大量生産・大量消費のモノ作りの世界一になった。それが国や社会にとって「善いこと」だった。また、売上至上主義と家庭を顧みない猛烈な企業戦士は、企業にとって「善いこと」だった。情報化社会・グローバル化社会のいまは、標準品のモノはあたりまえで、それをこえて世界に通用するコト創りの顧客価値が求められる。各人の独創性や創造性が問われる個人戦を勝ち抜いて企業の業績に貢献するのが「善いこと」になった。これが変化する部分(流行)で、変化しない部分(不易)は、「国や社会への貢献、そして人びとへの生活価値の提供」である。変化しない部分への使命感が、今の30代~40代の日本人に不足しているといわれている。
日本に次いで大量生産・大量消費のモノ作りで経済強国にのし上がった韓国。その経済は、アジアの金融危機とリーマンショックを乗りこえ、着実な成長を続けている。しかし、産業社会から情報化社会・グローバル化社会への変化は、日本よりも急速にしかも強い衝撃で起きている。韓国経済は、国内の市場が小さいため、日本の2・5倍以上もの比重で海外貿易の拡大やグローバル市場での競争力の向上に依存しているからだ。しかし、20代、30代の韓国人の「国や社会への貢献意識」が弱くなっているという。
韓国でも最近まで商人は卑しいとさげすまれていた。代表的な商人像として開城商人がある。日本の近江商人に相当する。高麗王朝時代の都だった開城が、朝鮮王朝時代には商人の町として栄えた。日本の江戸時代に大阪が商業の中心だったのと似ている。日本の商工業企業は、明治以降の近代化・産業社会化を担うことで、社会での地位を高めた。多くの産業を興し富国殖産をめざして、かつての士農工商の体制から官産農(官僚・産業・農業)のそれに転換した。
韓国では日本から解放されたあと、漢江の奇跡をへて、造船・鉄鋼・半導体・デジタル家電・自動車などで日本を追い越し・追いつめはじめた近年になってから、経済で世のため・人のために貢献することが「善いこと」と認識され、財閥企業とその創業者が尊敬を集め高い社会的評価をうけるようになった。多くの企業が「産業報国、社会貢献、顧客第一」の企業理念をかかげている。