◆思想の根底に儒教精神が生きている実感◆
江戸時代から今日に至る経営哲学の系譜、そして韓国の財閥企業の成長や社会の価値観の変化を追っていくにつれて、日韓両国の人びとの思想の根底に儒教と儒教精神が生きているという実感が私の中でますます強くなった。日本は儒教精神を学んだが、韓国とは異なり、儒教を国教として受け入れなかった。
儒教の教義の核心は、私の単純化だが、人が人徳を極めて真の人間になる教えである。人徳を極める(仁義礼智の四徳を体現する)には、私心を克服して人を愛し憐れむ、利にとらわれずに悪を憎み正義を行う、人間社会の上下関係を守り人と譲り合う礼を尽くす、知を磨いて物事の善し悪しを見分ける、という四端を生涯かけて磨かなければいけない。この四端を磨いて、五倫(5つの人倫の道)を実践する。
日本の経営哲学は、儒教精神のほかに、死後極楽浄土に行くまでに現世で善行を積むことを教える仏教や、地域社会との相互扶助・共存共栄を求めるアニミズム的神道を「ない交ぜ」して構成されている。江戸期の商人や明治/大正期のオーナー経営者には大富豪が多かった。
しかし、サラリーマン経営者がほとんどの現代の大企業では、企業が大きく国や社会に貢献し業績も高めても、それは、経営者が数億円もの巨額の収入をえるとか栄耀栄華の暮らしをするなどの、現世利益とは必ずしも直接リンクしない。名経営者で、人徳の高さで大きな尊敬を集めながら、経済的にはそれほど報われていない人が多い。
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