朴根好・静岡大学人文社会科学部教授が著書「韓国経済発展論 高度成長の見えざる手」(御茶の水書房)を出版した。自著について文章を寄せてもらった。
◆米国の「見えざる手」が高度成長支える◆
韓国は1960年代より輸出志向工業化を成し遂げ、今や先進国の仲間入りを果たしている。韓国は第二次大戦後、発展途上国から先進国の仲間入りを果たした稀なケースといえよう。当然、多大な研究関心が韓国経済のこのような経験に集中し、その発展の構造がさまざまな角度から分析されてきた。というのも、韓国がどのように輸出志向工業化を成功させ、先進国の仲間入りを果たすことができたのか、その問に答えることが研究者のみならず、韓国の経験から教訓を得ようとする発展途上国の政府官僚や財界人にとっても、重要な課題であったからである。
本書は、比較経済発展論という手法に基づいて、60年代におけるインドの工業化停滞と韓国の経済的奇跡という「同時性」に焦点を合わせながら、米国の国家安全保障戦略が両国の工業化の明暗にいかなる影響を与えたのかを学際的に分析したものである。こうした比較経済分析にはいささか珍しいことではあるが、米韓両国の秘密解除外交文書を用いることにより、いくつかの「新しい絵」が浮かび上がってきたのである。
興味深いのは、65年を境に、韓国は高度成長を成し遂げるのに対して、当時アジアの工業先進国であったインドは長期停滞に陥った、ということである。米国の安全保障戦略は、60年代前半には米ソの経済的影響力を競い合うかたちで進展したことから、米ソによる「開発モデル競争」をバネとして国際関係の中心に組み込まれ、アジア諸国の経済開発も、米国の安全保障戦略に大きく左右されやすい構造的な問題を抱えるようになっていた。
同時に、米国の対外開発政策は、被援助国の自助努力や吸収能力が重視され、それに応じて対外援助の規模と配分が定められるなどいわば「選択と集中」が行われ、被援助国の離陸が目論まれた。そのため、被援助国に対する援助配分もトレード・オフの関係を見出し、アジアにおいては南アジア重視、とりわけインドに強く傾斜していった。
しかし、ベトナム戦争の拡大とともに、米国の安全保障戦略も大きな転換を余儀なくされ、この時期の米国の対外開発政策は南アジアを重視する方針から「東アジア」重心、とりわけ韓国重視に強く傾斜していったのである。
もうひとつ興味深いのは、輸出政策が過大評価されていた、ということである。例えば、「第一次三カ年輸出計画(65~67)」のフィット&ギャップ分析を通して、ギャップの大きさ及び政策方針とのズレを計り、輸出成長と輸出政策との関係を探ってみたものの、輸出政策の有効性が全く確認できないからである。
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