◆司令塔・未来戦略室を解体したサムスン◆
サムスン財閥はサムスン電子をトップとするピラミッド構造である。サムスン電子は、消費者家電(Consumer Electronics)部門、IM(IT&Mobile Communications)部門、DS(Device Solutions)部門の3部門で構成されている。現在、サムスン電子の役員は、権五鉉・代表理事副会長(DS部門)、尹富根・代表理事社長(CE部門)、申宗均・代表理事社長(IM部門)等のトップ3の専門経営者をはじめとして、19人の社長と53人の副社長などである。これらサムスン電子のトップを構成する役員らは、各事業を遂行する専門経営者ではあるが、グループ全体の事業戦略を計画・立案から指示する役割は持っていない。サムスングループのこれらの役割を引き受けているのが、コントロールタワーである未来戦略室である。
この未来戦略室にいま激震が走っている。2016年12月6日、国政調査特別委員会聴聞会で崔順実ゲートが国民の前に明らかにされると、国政介入などの疑惑が次々に浮上し、サムスン物産と第一毛織の合併にも、朴槿惠大統領が国民年金に圧力を掛けて成立したのではないかとの疑惑で、集中砲火を浴びたのがサムスンであった。この時、矢面に立った李在鎔副会長は、全経連脱退(17年2月実施)と同時に「未来戦略室を解体する」と公言した。
李在鎔副会長を含む未来戦略室首脳部に照準を合わせた特別検査チームによる捜査は、サムスングループの経営活動を事実上マヒさせている。主な系列会社の社長団はもちろん、毎年12月初めに実施されてきた役員の定期人事や経営戦略に至るまで、決められない状況に追い込まれている。
未来戦略室には長い歴史がある。1959年に故李秉喆氏が会長秘書室を設置したことに始まり、その後、構造調整本部、戦略企画室と名称を変え、08年のサムスン秘密資金事件が露見して李健熙会長らが起訴された後、戦略企画室は一旦解体されたが、10年に未来戦略室に名前を変えて今日まで存続してきた。この未来戦略室が解体された。
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