◆ブラジル市場を果敢に攻めるサムスン◆
中国市場、インド市場などの巨大な新興国市場で、サムスン電子は中国企業の圧力に劣勢を余儀なくされている。こうした中、新興国でも中南米のブラジル市場ではサムスン電子の攻勢が目立つ。ブラジル市場は、政治不安と景気悪化を繰り返しており、企業の立場からすれば、為替レートの振れ幅が大きく経営戦略を立てにくいところである。
1986年、サムスン電子はブラジルに販売支社を設置したことを皮切りに本格的に進出した。この年はサムスン電子が液晶テレビの量産化に入った時期である。この時のブラジルの支社の役割は、電子レンジなどの家電製品を韓国から輸出し販売するだけの単純な機能を持つ程度であった。
ブラジルへの進出が本格化したのは95年以降である。95年末にブラジル北部のアマゾナス州の州都マナウスにカラーテレビ(30万台)及びVCR(10万台)の生産工場を建設し、99年には携帯電話(144万台)の生産工場を竣工した。携帯電話は5年後の2004年には、年産300万台以上に拡大している。
だが順風満帆だったのではない。95年ブラジル現地に工場を建設してわずか4年後の98~99年に発生したブラジル通貨危機により、ブラジル通貨レアルが大幅に下落し、サムスン電子はテレビ事業の撤収という苦い経験をした。それから6年後の05年にブラジル市場に再挑戦し、今日のポジションを確保するまでの間、サムスン電子は苦難の連続であった。
この事態を大きく変えたのは、16年8月のリオ五輪であった。五輪はサムスン電子にとって大きく飛躍する機会を与えた。サムスン電子が得意とするスポーツマーケティングを積極的に展開し、絶大な効果を発揮した。例えば、最新モバイル技術を体験できる「ギャラクシースタジオ」を五輪開催地の周辺に13カ所設置し、100万人以上がサムスン電子の先端技術を堪能したといわれている。
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