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2009/04/03

<オピニオン>縮む世界経済と韓日 第7回                                                           大阪産業大学 経済学部  本山 美彦 教授

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    もとやま・よしひこ 1943年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業。86年京都大学経済学部教授。経済学博士。福井県立大学大学院経済・経営学研究科教授などを経て、08年大阪産業大学経済学部教授。社団法人国際経済労働研究所理事。「金融権力」(韓国版も出版)など著書多数。

 世界経済は一体どこに向かっているのか。かつて経験したことのないような経済危機を前に人々の不安感が高まっている。資本主義の総本山というべき米国が危機の震源であり、「資本主義の終末ではないか」という議論まである。世界経済の現実をどう見るべきなのか。アジアで韓国と日本はどのような協力体制を築くべきなのか、大阪産業大学・本山美彦教授に話を聞いた。

 ――世界経済の現状は「百年に一度」の危機ともいわれている。欧米の大手金融機関のパニックが起こり、米自動車業界が苦境に陥るなど、ダメージが世界に広がっているように見えます。

 「百年に一度」という表現は、それほど間違ってはいないと思います。もちろん、いまの金融危機を招いた最大の責任者であるグリーンスパンの居直り発言は、それだけで糾弾されるべきです。ロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM、米国コネチカット州に本部を置いて運用されていたヘッジファンド)が破綻した直後の1998年に、米商品先物取引委員会(CFTC)委員長のブルックスリー・ボーンが野放図な金融の動きを規制しなければ、「経済が重大な危機にさらされる」と規制法案作りを開始した時、そんなことをすれば戦後最大の危機に世界が陥るとして法案を撤回させた首謀者がグリーンスパンだったのです。

 クリントン政権下のルービン財務長官、サマーズ財務副長官も恫喝に加わりました。ルービンは91年に「金融近代化法」を作成し、大恐慌の教訓に基づく銀行・証券・保険業務の兼営を金融機関に禁ずる「グラススティーガル法」を破棄して、兼営を認可してしまいました。さらに、グリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)前議長はルービン辞任後に財務長官に昇進したサマーズとともに、金融派生商品に対する政府管理の強化に反対する報告書を99年に提出しました。00年には「商品先物近代化法」がグラム共和党上院議員の手で成立し、商品先物の規制が禁止されました。

 グリーンスパン、ルービン、サマーズが、現在の米国発の世界金融危機を生み出す法制的裏付けを与えた張本人たちです。金融派生商品は、1930年代の恐慌時にはまだありませんでした。現在はそれが金融危機の主因になっています。その意味では、「100年に1度」という表現は正しいでしょう。

 ――世界経済はいつごろ回復するでしょうか。オバマ政権の金融政策に対する期待度をお聞きしたい。

 私は、マスコミのオバマ政権に対する高い評価とは反対に非常に低く評価しています。もちろん、黒人を大統領に押し上げるという米国民の民主主義の奥行きの深さには、最大級の称賛を送ります。しかし、政治・経済政策となると問題は別です。この政権は、なにもできない折衷主義だと思っています。

 ルービンが作成したブルッキング研究所の「ハミルトン・プロジェクト」というのがあります。初代財務長官の名を冠したプロジェクトです。いささか異色の建国の父です。このプロジェクトの主張点がオバマの大統領就任演説の骨格を形成していました。06年4月、このプロジェクト発表の席に招待されて演説をしたのがオバマでした。サマーズ、ガイトナーなどのルービン一派のシフトがこと金融・経済政策に関するかぎり強く見受けられます。

 なによりも非難されるべきは、金融派生商品の規制方法、レバレッジ規制、金融派生商品の情報開示、監督官庁の整備等々の具体策がなにも打ち出されないまま、つまり、今回の金融危機発生の主因を取り除く作業をしないまま、やみくもに公的資金をばらまいていることです。手をつけたのは「ストレス・テスト」といって、今以上の激震に金融機関は個別的に耐えられるかの検査だけです。システムの危機なのに、金融機関の個別体力の測定しか行おうとしていない。要するに何もしていないのです。膨大な公的資金の散布は、システムの改善なしには、必ず、ハイパーインフレーションを起こしてしまうでしょう。オバマ政権の政策は、皮一枚でつながっている奈落への転落防止の皮を切断してしまい、経済を本格的恐慌に叩き込むものです。その意味で、今回の危機はさらに増幅され、向こう10年間、経済は地獄の様相を帯びるでしょう。

 ――今回の金融危機を契機にポスト資本主義論議も起こっています。資本主義はどこにいくのでしょうか。

 今後、進行するのは、新自由主義者たちが声高に要求してきた「小さな政府」のなし崩し的後退でしょう。そもそも、金融市場を支配してきたマネタリストたちは「小さな政府」信奉者でした。これは、「自分たちを自由に泳がせてくれ、一切の権力による介入は邪魔だ」という本音を、美しい言葉でごまかしてきたレトリック以外のなにものでもありませんでした。それは、「大きな権力は必ず腐敗する」という民衆の心をとらえるスローガンでした。

 では、自分たちが苦況に陥ったとき、あれほど口汚く権力を罵倒してきた新自由主義者たちが、競って公的資金に救済を求めるとはなにごとでしょうか。いまこそ、権力にはすがらない自分たちの矜恃を見せるときでしょうに。いまの米国は「史上最大の国家」です。これほど、巨大な資金を散布し、これほど巨大な軍事力をもった国家は歴史上、見ることのできないものです。しかも、オバマ政権は口約束だけの巨額公的資金散布を言っているだけで、財源の手当もほとんどしていません。誰も、FRBですら国債を引き受けないのですから。日本や中国に引き受けさせる巨大な圧力をかけてくるしかないでしょう。

 世界的に見ても、とくに、新興国は、「国家資本主義」に傾斜していくでしょう。私は、世界が再度、ナチズムの方向に向かっているという実感を持ちます。

 ――世界のGDPの80%以上を占有している諸国のリーダーが20カ国・地域(G20)金融サミット(首脳会合)の場で、合意、決定すべき最大の課題は何だと見ますか。

 米ドル一極主義を一刻も早くなくすことです。つい1年前には、「デカップリング」といって、米国が景気後退してもブラジルやインドの経済成長が世界経済を救うと喧伝されていました。今回の危機は、世界がこのような構造ではなく、ドル一極支配下にあったことを如実に示しました。

 各国が共通通貨作りに邁進することが重要です。それから、初期のIMFの理念にあったように、投機的な国際資金移動を規制し、貿易の不均衡を出さないシステムを作るという国際的な努力をすることです。いま、必要なことはドルを国際的に支えるということではありません。米国は自力で自己発の金融危機を克服すべきです。各国は、米ドルに頼らない新しい国際的協調体制を作り出すという合意を形成し、具体的に制度設計を国連総会の場で行うべきです。

 ――世界経済秩序の権力移動はどこまで進むのでしょうか。

 国家資本主義の暴風雨が、近い将来、吹き荒れるようになるでしょう。その場合、世界の権力の担い手がどこに移るかという問題設定は無意味でしょう。人々が現実に生活している地域の場の独自性の強化、地域で生きるという自覚と喜び、そうした場を作る人々の営為に各国の為政者は援助すべきです。

 民衆のサミットが世界のいたるところで開催され、生活感覚に根ざした人の「つながり」(連)があらゆる領域で強化されることが大事です。必ず、「世界市民」は地域連帯を通じて生まれてくると私は信じています。権力者や大富豪に振り回されない世界を構築して行くこと、これが文明の進歩だと思います。それは必ず実現すると信じています。

 ――日本円はドルに対して価値が切り上がっており、韓国はG20の共同議長国を担い、中国は落ちたとはいえ8%の成長を打ち出しています。今後の世界経済において、これら3国の存在感が増してくると思われますが、東アジアは世界経済のけん引役になれるでしょうか。

 すみません。私はこうした発想は採りません。東アジアの方がGDPの落ち込み幅が大きい。これは、市場を米国に求めすぎ、米国の過剰消費社会におぶさってきたからです。金融被害も東アジアの方が大きい。金融のプロではなく、素人が怪しげな金融商品を買わされてきたからです。金融商品を売りつけられてきたいまの大学の惨状を見て下さい。老後資金を根こそぎ掠め取られた老人の絶望を思って下さい。

 構造改革の名の下に米国のコンサルタントが大挙、東アジアの金融政策を牛耳ってきた。そのために、地場産業を支える金融機関が壊滅してしまった。残ったのは、金融商品への投機事業であり、生産も欧米向けのものでしかなかなかった。東アジアは、けっして成長の拠点ではありませんでした。欧米の下請けで安価に最終消費財を作らされる奴隷的な経済圏なのです。こうした惨めな構造から脱却することが東アジアの悲願でなければなりません。

 ――近年、日本と韓国の間では人的交流が増え、年間500万人が行き来するほど身近な間柄となっています。しかし歴史認識問題などがあり、真の友好・和解に至っているとはいえません。経済的にはFTA(自由貿易協定)交渉が何年も足踏み状態にあります。現下の世界経済危機の克服という難問を前に、燐国同士の韓日が手を携えて新時代を切り開くチャンスではないでしょうか。

 東アジアの緊張を解くための協力を日韓から行うべきです。地球上に生きている人々は等しく生活の安全と愛を分かち合わねばなりません。そのためにも、アジアの近代化の中で生じた哀しい歴史をアジアで生きるものたちの視点で虚心に点検する作業が必要です。

 いたずらに激高するのではなく、冷静に相互理解をしながら、二度と過ちは犯さないという姿勢で歴史の点検を行いましょうよ。

 ――21世紀は戦争のない繁栄した世紀になるでしょうか。塩野七生さんは「ローマ亡き後の地中海世界」で古代ローマ崩壊後に地中海世界は、海賊の天下になったと記しています。「平和」なしに世界経済の発展もありません。今後、国際秩序混乱の心配はないでしょうか。

 草の根レベルの国際交流、国際的な居住(永住)、商業が鍵です。武力が安全を保証するものではありません。顔見知りになることです。英国の古典経済学にあった「商業擁護論」を私は支持します。しかし、それには、地域ブランドの相互承認が不可欠です。巨大多国籍企業による特産品貿易などもってのほかです。スリランカの紅茶はスリランカの地元企業名で流通させられるべきです。日本では、自動販売機で売られる飲料は、どこから輸入されたものも、すべて日本の会社名がつけられています。これでは対等の国際商業とは言えません。

 ――最後に一番強調したいことを一言お願いします。

 倫理につきます。エコノミーという言葉は、「神の摂理」を意味していました。神の摂理を発見することが初期の経済学でした。しかし、神の摂理でもなく、権力者が民を救う「経世済民」でもない、市民の平等で安全な生活を目指す学問が「経済学」だということを、英国ではミル父子、日本では福沢諭吉が強調するようになりました。それは人倫を基本とするものなのです。もう一度、人々にこの原点を知っていただきたく思います。


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