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2009/07/31

<オピニオン>韓国経済講座 第107回                                                        アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

  • 笠井 信幸 理事

    かさい・のぶゆき 1948年、神奈川県生まれ。国際開発センター研究員、ソウル大学経済研究所客員教授、秀明大学大学院教授を経てアジア経済文化研究所理事・首席研究員。

 中国吉林省最南東部、北朝鮮に隣接した延辺朝鮮族自治州都の延吉市。1985年に市が開放都市に指定され外国人の立ち入りが可能となり、2007年の外国人観光客数は、州内で25万1000人に上り、人と物の往来が急増している。発展を続ける中国・延辺経済について笠井信幸・アジア経済文化研究所理事に分析していただいた。

 薄暗い煤けたコンクリート建ての狭い部屋に、人目を潜んでオドオドした目つきでこちらを見つめる脱北者のテレビ映像が植え付けた延吉市の一般的なイメージである。日本では関心の高い脱北者報道に延吉がいつも利用されるため人々にこんなイメージが浸透しており、延吉市を正面から紹介する報道は一つもない。他国の都市をこんな形で印象付けている日本の報道をその土地の人々が見たら何と思うであろうか…。

 では延吉とはどんな所だろうか?延吉市は中国吉林省最南東部、北朝鮮に隣接した延辺朝鮮族自治州の州都だ。延辺は1952年9月3日に延辺専区という行政区から延辺朝鮮民族自治区として成立(吉林省に属す)した。区内には延吉市、延吉県、和龍県、汪清県、琿春県、安図県(後に龍井市、敦化市が追加)が含まれた。人口は85万4000人程度で、その内朝鮮族は52万人で62%を占めていた。1955年12月に延辺朝鮮族自治州と改称され、区から州に降格された。延吉市は53年に延吉県が市(県級市)に昇格となり、55年に延辺朝鮮族自治州の州都となった。85年に市が開放都市に指定され外国人の入市が可能となったが、前年84年には韓国人の離散家族訪問が許可されていた。88年のソウルオリンピックを期に韓国人を中心とした外国人訪問が漸増し、因みに2007年の外国人観光客数は、州内で25万1000人であった。

 03年以降、中国は東北地域を対象に「東北振興策」を実施している。掲げた表は、州の最新の経済実績をまとめたものであるが、05年から始まった第10期5カ年計画(05年~10年)の目標年である10年目標をすでに08年には概ね上回って、その後も成長している。

 東北振興の特徴は民間資金の活用であり、その財源の一つが人民銀行に送金される海外労務者所得である。個人口座の総計は、04年7・3億㌦、05年8・5億㌦、06年10・6億㌦、07年12億㌦、08年10月末6億2700万㌦で、07年の送金額は同年州財政収入の3倍を超える規模である。この他個人的に持ち込まれる外貨を考慮するとその規模はさらに膨らむ。

 延吉市は、ここ数年外資誘致にも積極的である。08年8月24日~30日に延吉市で行われた第3回中国延吉国際投資貿易博覧会、第4回図們江地域国際投資貿易博覧会では投資件数39件、総契約額68億8360万元、貿易2634・2万㌦の成果を上げた。09年は8月28日から30日までを予定し、現在延吉市人民政府副市長、同商務局長、人民政府外事弁公室課長、(社)世界海外韓人貿易協会延吉支部会長が来日し、新潟、秋田、千葉、東京、名古屋及び大阪で投資説明会を行っている。

 同地域には、未だ日本の歴史的負の遺産が残っており、その一つである遺棄兵器の撤去作業も実施されているのだ。テレビ局には視聴率稼ぎの脱北者の報道で延吉市を利用することよりも、発展努力する延吉市の姿を正確に報道してもらいたいものである。


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