韓日間の経済交流が活性化する中、韓国企業で働く日本人技術者やビジネスマンが増えている。本田技術研究所のチーフエンジニアを経て、2004年にサムスンSDI中央研究所の常務に就任、現在は拠点を東京に移し、日本サムスンに逆駐在の形で席を構えた佐藤登さんの異文化体験記をお届けする。
韓国ドラマ「アイリス」と横手「かまくら」が共鳴するかのように、ソウルへの「出前かまくら」は2009年7月に正式決定された。横手市とソウル市、および民間の協力と国の補助金によって念願の海外初が実現した。
清渓広場に現れた大きな「かまくら」2個は横手からの「かまくら」職人3名の手によって堂々と完成し、「10個以上のミニかまくら」はソウルの小学生が作り上げた。「かまくら」の文化を知っていただくことでの文化交流は、企画提案から1年6カ月を経て関係者の熱意によって実行された。
新型インフルエンザの警戒や景気低迷の中、日本各地への旅行客の出足は鈍く、旅行業者も弱音を吐いている一方、アイリス効果によって秋田へのツアーの問い合わせや申し込みが急増した。その証拠に、ソウルと秋田を結ぶ週3便の大韓航空直行便は、もともと143席の機材を飛ばしていたが、11月には一部、187席に機材変更をして、更に12月は全便187席、そして本年1月2日から3月1日までの月曜便と土曜便はなんと283席に機材変更をした。搭乗率は90%近いという。それまでは搭乗率60%くらいで低迷していた路線が急にこのような状況になったおかげで、秋田県としても活気付いている。
さてこの「アイリス」の放映が終わった直後に、この「かまくら」を「出前かまくら」としてソウルで実行した。海外初「出前かまくら」として1月22日から24日まで、清渓広場にこの「かまくら」が堂々と姿を現した。ドラマ放映直後にこのような形で実現することは実にタイミングが良かった。
雪は人工降雪機で降らせたものだったので湿り気が少なく、途中で川から水を運んで雪を固める必要があり、それも氷点下15度くらいの寒さの中、秋田から出張した「かまくら」職人3人もかなり苦労したとのこと。しかし完成した「かまくら」は立派な姿でお目見えした。
この発案は08年7月、筆者が横手市長に提案したのがきっかけで南大門復興に向けたイベントとして文化交流を行い、国宝復興工事を応援しようというアイデアから出発した。
400年前に水不足で飢饉に陥った際に雪の室「かまくら」を作り、水の神様を奉る文化行事であることから、放火で消失した南大門を守ろうという意図にあった。
今回は南大門よりも韓国からの観光客を発掘するための色彩に変更し、「アイリス」の舞台というスタンスで実行されたが、23日のオープニングセレモニーは厳寒の中執り行われた。
その日の夜9時のSBSにてトップニュースとして放映されたことで、翌24日には夕方までに3000人を超える観客が押し寄せ、主催者側を驚かせた。同時に、この日もKBSを始めとする主要マスメディアが取材に訪れるなど、かなりのインパクトがあったことで大成功となった。
1月のソウルでのイベントは終わったが、2月12日からは横手での「かまくら」行事へと続く。そして3月からは日本で「アイリス」の放映開始。すなわち、韓国での「アイリス」、「出前かまくら」そして横手の「かまくら」、日本での「アイリス」と、毎月のように関連したイベントが国境を越えて連携される。
これを機会に日本はもちろん、韓国内に秋田ファンが増えることを期待する。そして更にはお互いが持っている素晴らしい食文化の交流を韓国と秋田・東北で相互にできれば、永続的な交流が実現する。
ドラマの抜群の宣伝効果に感謝することは当然であるが、それだけでなく、そこからまた大きな新しい次元で文化交流が始まることを期待したい。そのためにも積極的な企画提案が必要だ。
日本文化も地方ごとにまちまちであるだけ魅力も多く、これが起点になって周辺の東北も韓国客で賑わってほしいと思う。