韓日間の経済交流が活性化する中、韓国企業で働く日本人技術者やビジネスマンが増えている。本田技術研究所のチーフエンジニアを経て、2004年にサムスンSDI中央研究所の常務に就任、現在は拠点を東京に移し、日本サムスンに逆駐在の形で席を構えた佐藤登さんの異文化体験記をお届けする。
8月28 日、秋田県大仙市の「大曲花火競技大会」が絶好の天候のもとで開催された。今年は開催百周年、途中、戦争の影響で中断を余儀なくされた関係で回数的には第84回であったが、歴史的な節目ともあって観客は昨年より12万人多い80万人と報告された。歴史的には1910年、「奥羽六県煙火共進会」として開催されたのが始まりとされている。
花火師の技量向上を大きな目的として、地主や商家が企画した文化であるが、この地域では稲作の傍らに花火を作る職人が多かったためのようだ。花火の発祥地として築かれた歴史には、大会が始まるに至るいろいろな説があるようだ。
この大きな大会イベントに主催者側から招待された。それはこの歴史と文化の香り高い「大曲の花火」を「アイリス2」のロケシーンとして使えないものか、筆者がマスコミを通して秋田県に働きかけたのがきっかけとなったためである。
アイリスでの主人公ヒョンジュンは、最終の第20話で背景がわからないまま何者かに狙い打ちされて意識を失い、彼の車が立ち止ってしまうシーンで終わる。これには視聴者の誰もが唖然としたはずだ。だからこそ、第2弾のアイリスが制作されることにつながり、というよりも第2弾を企画するためのシーンとして仕立てたと言った方が適切だろうが、来春からロケが始まる第2弾によって、また新たなアイリスブームが沸き起こると想定される。
ヒョンジュンは生きていたというところから始めるのに、何らかのメッセージに乗せて展開しようとしたら、花火はそれとなくメッセージを発するダイナミックな動きと輝きの未来がある。この花火に、アイリス2へのつながりを託せないかという筆者の想いである。ドラマの芸術文化には論理と脈絡が必要だ。
冬の秋田がロケで活用された経緯から、生存が不明であったヒョンジュンは、姿を隠すべくして身をひそめていたが、それは冬の秋田、とりわけ田沢湖や横手のかまくらで癒された当時を偲び、想いを馳せらせ秋田に身を潜めていたというシナリオにできないものだろうか。
そうすることで間が空いた空白の時間に、生存という意味が過去の癒しの地で完全につながり、ドラマの脈絡を最大に演出できるのではないか。それが筆者の考えた最大の連結論理である。しかし、それを秋田の関係者だけで議論しているだけでは埒が明かない。
そこで筆者の提案も加わって、秋田の行政と大曲の花火実行委員会とが融合し、制作会社テウォン社の社長、監督、プロデューサー、俳優をこの花火競技大会に招待したのである。俳優は来なかったものの、花火を鑑賞した制作会社の社長は「次のアイリスでのロケを検討したい」というメッセージを関係者に発したという。
そもそもそこまで筆者が提案する理由は何か。それには三つの理由がある。そのひとつは、最初のアイリスで秋田ロケが決まってから、地元にある横手城と「かまくら」は癒しの雰囲気があるという理由から、自ら提案しロケ地として採用されるに至った。
主演のイ・ビョンホンが2009年5月12日のソウルでの制作発表会のイベントで、マスコミに対して発した言葉、「今回はロケ地の関係者からの提案が多くあって驚いた」ということから、何らかの意味ある提案は実現に至るという認識に至ったこと、二つ目の理由は、ならば脈絡のある第2弾には脈略のあるつながりを検討して欲しいという願い、そして三つ目は、韓国の最高のドラマと世界一の花火が融合することでのグローバルな価値を誇るアイリス2の実現に込めてという意図である。
ともかく制作側の心を惹きつけ揺さぶるためには、その文化がもっている価値を十分に理解してもらうことが必要だ。迎え受ける側の仕組みも行政、花火大会関係者はもちろんのこと、秋田に関係する人々が同じ意気込みとベクトルをもつことが必要だ。それぞれの考えや思想が違うからということの無いよう一緒に行動することで、この「アイリス2」を是非実現したいと切に思っているのは私だけではない。秋田の気質は必ずしも一枚岩になりにくいこと、決して積極的ではないことが伝統的に語られてきたが、その慣習を打ち破ったのが今回のアイリスであったわけだから、第2弾は更なる発展に期待がかかる。
アイリスロケ地の日本版秋田では冬の「静」の魅力を十分に発信できた。第2弾は秋田の「動」、これこそが秋田がアイリス2に自信をもって貢献できる大きな魅力であることを理解していただきたい。