◆世界へ飛び出した韓国企業◆
韓国の輸出攻勢が衰えを見せない。2010年10月末の輸出額は3819億ドルに達している。この時点ですでに09年の輸出規模、3635億ドルを上回っている。そして年間輸出史上最高額を記録した08年の4220億ドルを上回るのも、残り400億ドルで、ほぼ確実と思われる。今や輸出が韓国経済出口戦略の牽引車だ。
他方、韓国の輸出は、輸入誘発型であるため、輸入も増大している。10年10月末で3465億ドルと09年(3231億ドル)を既に凌駕し、これまでの最高額である08年4353億ドルに迫っている。
輸出入の増大は貿易依存度(貿易額÷GDP)を高める。韓国の貿易依存度の推移は、危機の時に上昇するという特徴がある。IMF危機で内需が低迷した1998年には初めて60%台を超え65・2%となり、その後、07年までは50~60%台を推移してきた。
だが08年に世界金融危機に見舞われると再び急増し92・3%と90%を越え、09年でも82・4%と高水準にある。危機の後に貿易依存度が高まるのは、冷え込んだ内需が持ち直さずにいるため、韓国企業は海外市場の開拓に本腰を入れることを余儀なくされ、この過程で貿易依存度も高まるのであるが、しかし、この時期こそ企業のグローバル化を図る絶好のチャンスでもあるのだ。
IMF危機は企業構造改革のビッグバンだった。それ以前の財閥企業は利潤優先から「たこ足経営」と言われるほどあらゆる事業に進出したため、どの企業も結局同じ事業を行うと言ういわば「分散と収斂」を繰り返していた。
ビッグバンにより企業は専門事業へ特化する「選択と集中」へとシフトしたため5大財閥は247社から165社(99年)へと絞り込まれた。サムスンもそれまでの63社から40社へと協力会社を統廃合し、サムスン電子は従業員を2/3まで減員させた。
また、サムスン電子の人事チームは国際市場における製品ライフサイクルの速さに対応するため、97年当時、GPM(グローバル・プロダクト・マネジメント)制度や年俸制など、革新的な人事制度の導入に向けて準備を進めた。
後にGBM(グローバル・ビジネス・マネジメント)に変わった同制度の核心は、製品管理する事業部に関連するすべての機能を持たせることで、事業部長が製品開発からデザイン、製造、マーケティングまですべてを管理するシステムである。
GPMは当該部署に対して権限及び事業責任を明確化するものであり、その意味では重責であるが、経営戦略上問題の発見と素早い対応を可能とし、これが企業競争力を生みだしている。
さらにサムスン電子は世界金融危機への対応として09年に2回の組織改編を行い本社と7事業部門に統廃合し、併せて役員の大幅な縮小を実施している。
この結果、現場中心の体制となり、よりマーケットフレンドリーな事業展開が可能となった。こうした企業努力は韓国企業をグローバル企業に発展させ世界市場を席捲するまでに発展した。
例えば携帯電話の出荷では次の様な実績を上げている。10年第3四半期の世界全体の販売台数は、第1位ノキア(フィンランド)1億1746万台(シェア28・2%)、第2位サムスン電子(韓国)7167万台(17・2%)、第3位LG(韓国)2748万台(6・6%)、第4位アップル(米国)1348万台(3・2%)、第5位リサーチ・イン・モーション(カナダ)1191万台(2・9%)、第6位ソニー・エリクソン(日本・スウェーデン)1035万台(2・5%)、第7位モトローラ(米国)896万台(2・1%)、第8位HTC(台湾)649万台(1・6%)となっており、サムスン電子、LGの躍進ぶりが目を引く。
韓国企業の強さは、経済危機下での思い切った組織改編のみならず、これまで先進国企業が力を入れてこなかった中近東、アフリカなどの新興市場進出、生産工程強化よりも販売力、デザイン、ブランド力の強化を志向したことなども指摘される。さらに、韓国製品のイメージアップ戦略も注目される。これまで韓国製品のイメージは国際市場では希薄なものであった。
しかし、文化輸出と製品輸出のカップリング戦略は韓流ブームに沸く日本市場のみならずアジアから中近東などに拡大している。
例えばMBC放映の「朱蒙(チュモン)」は世界20カ国で放映され、「大長今(チャングムの誓い)」は60カ国で放映され、そのことがイランなどにおいて韓国、韓国家電製品に対する親近感や好感度を高めている。
日本市場においても11年のデジタル放送切り替えを狙ったTV攻勢や約600万台ともいわれる12年にサービスが終了するNTTドコモの第2世代携帯「mova(ムーバ)」の買い替え需要を見込んだスマートフォン攻勢が始まっている。