◆前進へ継続的核心が必要◆
2011年、また新しい一年が始まった。成長のスピードを緩めず駆け抜けた韓国経済の変わらぬ革新と前進を期待する筆者の気持ちとは裏腹に、韓国経済の前進はそれほど容易でないようだ。
昨年の韓国の輸出額は前年比28・6%増の4674億400万ドルで、世界9位から7位に上昇した。輸出入での貿易黒字も417億2300万㌦で、前年の410億㌦より多い。
韓国政府は今年の輸出は5000億㌦を超え、全体貿易規模は1兆㌦を超えると予測している。このような政府の見解から、貿易拡大と景気活性化に対する期待も高いという。
だが、依然として不透明な海外の経済環境を考えると、政府の目標値に現実感が伴うには海外の変化要素に対する冷静な分析と迅速な対応力を要するだろう。
大部分の経済専門家によると、米国経済は確実に回復のシグナルをみせているものの、はっきりした回復期に入ったとみることはできないという。
一方、欧州の財政危機はさらに範囲を拡大させる可能性を有し、世界経済の突破口である中国経済もバブルへの憂慮に対して金利引き上げと緊縮政策が強化される可能性は高い。その点で、世界経済の回復ムードを生半可に予想できなくする。また、最近2年間の輸出好調は為替のおかげという指摘を否めないことから、ウォン高になれば輸出に大きな影響を及ぼす可能性もある。
このような外部環境の変化に対しては個々の企業の品質とコスト競争力で克服しなければならず、外国為替管理での政府の実効的な政策対応も切実だ。
競争環境の変化という点では、中国と台湾の経済協力基本協定(ECFA)の早期収穫プログラムが今年1月1日から発効。539の台湾製品に対して徐々に関税が減り、今後2年以内に完全撤廃となる。いわゆる「チャイワン」時代が幕開けし、台湾という普通のライバルが強力なライバルに浮上することとなった。
韓国にとって中国は最大の輸出国だが、半導体、ディスプレー、携帯電話など韓国の電子産業を象徴する製品全てにおいても台湾と熾烈な競争を行わなければならない。韓国電子業界が台湾との競争をどのような戦略で乗り越えるのか興味深い。
韓国の電子産業は自動車と鉄鋼に続き、輸出の主力産業だ。現在もメモリー半導体出荷量で世界1位に立ち、液晶ディスプレー出荷量も世界1位を占めている。
韓国企業が威容を持った昨年、ライバルの日本と台湾は半導体を含む電子産業の広範囲な領域で戦略的提携を強化し始めた。巨大な中国市場に対する日本企業の戦略は、台湾企業との連帯強化にまとまったようだ。
日本の代表的企業である日立は、系列社の日立ディスプレーで台湾のホンハイグループの資本を受け入れることにしたという。ホンハイ傘下の奇美電子(CMI)と日立ディスプレーを合わせれば、中小型ディスプレー(9型以下)の生産量基準で世界1位のシェア(15・8%)となり、サムスンモバイルディスプレー(SMD)を上回ることになる。
もう少し詳しくみると、この提携は単純な量的拡大を通じた市場競争力拡大が目的であるようにはみえない。提携の核心は、日立がLCD技術の一つであるIPS(In Plane Switching)技術を提供し、台湾のホンハイがこれを利用して爆発的に成長しているスマートフォン用ディスプレーを生産することだ。日本の技術と台湾の資本及び営業網が結合したものといえる。日本・台湾連合によって生産されたパネルがアップルのアイフォーンに多数採用され、無関税で中国に入る構造は韓国のディスプレー産業に大きなプレッシャーとなるだろう。
中・小型LCDのほかにもDRAMや有機ELディスプレーなど韓国の1位企業が掌握している市場で、日本と台湾のライバル企業は提携強化とともに競争局面の転換を模索している。すでに議論は合意に変わり、実行に移っている。しかも、台湾と中国の経済協定による「チャイワン」という経済枠組みは、台湾はもちろん、台湾企業と連帯している日本企業にとって大きなチャンスとなるだろう。
これに対し、韓国の一部メディアは市場衰退期に入った半導体とLCD市場で生き残るための下位企業の合従連横だと評価した。
衰退期の論議はさておき、下位企業の連帯は上位の韓国企業にとって何の脅威にもならないという意味だろうか。
サムスンの李健熙(イ・ゴニ)会長は2011年の新年の挨拶で「いまのサムスンを代表する製品は、10年後には何もないだろう」とし、人材の育成、新技術の発掘、革新する企業文化を通じた持続的成長を誓った。具本茂(グ・ボンム)・LG会長も「市場先導は必ず進むべき道」とし、首位のLGとなるための前進を促した。
電子産業で韓国経済の成長を率いたサムスンとLGは相変らず前進を強調し、創造力とスピードも相変らず重要な特性として推奨されている。
継続的に前進するためには、継続的な革新が必要だ。市場と競争環境の変化のために、いま何を革新しているのか。新年でなくても、考えてみることだ。