ここから本文です

2011/04/01

<オピニオン>韓国経済講座 第127回                                                        アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

  • アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

    かさい・のぶゆき 1948年、神奈川県生まれ。国際開発センター研究員、ソウル大学経済研究所客員教授、秀明大学大学院教授を経てアジア経済文化研究所理事・首席研究員。

  • 韓国経済講座 第127回

◆三陸沖発経済震災◆

 まず、東北地方太平洋沖地震(以下東日本大震災)により被害を受けられたすべての方々にお見舞いとお悔やみを申し上げます。千年に一度の大震災は、未曽有の被害をもたらすとともに、3週間を経ていまだに大きな余震に見舞われている。今回の地震はいわゆる一連の「三陸沖地震」だ。「三陸」とは、江戸時代の陸奥・陸中・陸前の3国全域、現在の青森、岩手及び宮城の東海岸を含む三陸海岸地域を指す。この地域は、広く知られるように世界三大漁場の一つで、風光明媚な観光名所でもある。しかし、太平洋プレートが北米プレートの下に潜り込んでいるため、北米プレートの内側に入り込む歪みが限界に達すると跳ね上がることでこれまで「三陸沖地震」が発生してきたのだ。この地域はこうした不安定な地盤の上にあるのだ。

 「千年振り」とは何時か。三陸沖地震で、よく持ちだされるのが昭和地震と明治地震である。

 前者は昭和8年(1933年)3月3日の雛祭りに釜石東方沖で発生したマグニチュード8・1の地震であったが、震災はそう大きくなかったが、その後に襲った最高値28・7㍍の津波で、死者1500余名を出した。後者は明治29年(1896年)6月15日に釜石町東方沖で発生したM8・2~8・5の地震で、この時も震災より津波被害が大きく2万名の死者・行方不明者を出した。千年前と言われる地震は、平安時代の貞観11年(869年)7月13日に発生した貞観三陸地震を指し、マグニチュード8・3~8・6、死者約1000人と推測され史上最大の地震とされる。この地震による津波は、今回と同じく三陸沖から房総半島に至る広い範囲に及び、最大で9㍍の津波が海岸より2㌔に満たない仙台平野へ陸上溯上したと言われる。本当は1142年ぶりである。

 ところで、今回の被害地域には、かつて首都圏のコストが上がって移転をしていった多くの企業が稼働しており、韓国企業の欠かせない部品・素材取引企業もある。自動車部品では、シリンダーブロックを供給してきたテクノメタル社(福島県二本松市)は二本松工場が地震の影響で、北本工場(埼玉県)は電力供給低下で操業中断し対韓取引きが断たれている。韓国最大手の自動車部品メーカーの万都は、電子制御装置用の部品を岩手県のNCC社の工場からの輸入が困難に陥り、ブレーキやステアリングなど主力部品の生産が危機に追い込まれていると報道されている。

 電子部品も深刻で、電子部品用のスイッチやコンデンサーを生産するアルプス電気は宮城、福島両県にある7カ所の工場の被害、積層セラミックコンデンサー(MLCC)を生産する村田製作所、TDKは、電力供給の問題で工場の操業を一時中断したと言う。シリコンウエハー世界最大手の信越半導体の白河工場(福島県西郷村)と業界2位のSUMCOの工場の操業が中断。SUMCOは山形県米沢市に米沢工場があり、系列のジャパンスーパークォーツ(秋田市)も単結晶シリコン引上用石英ルツボの製造・販売をしており、これが困難に陥っていると言う。こうした事例を引き出せば枚挙に暇がない。

 日本からの部品供給網が崩壊したことによる韓国企業への震度は大きい。深刻なのは、日本からの輸入には市場転換がし難い、あるいは出来ないものがあるからである。これまで世界最適調達で発展した韓国企業戦略の盲点かもしれない。どこか不安定な三陸沖地盤に似ている。

 しかし、他方では第3国市場における日韓競争製品において、韓国企業に反射利益創出効果が作用することも間違いない。これまでの市場競争でさらにリードできる分野が広がる可能性もある。だが、こうした日韓経済関係において、何よりも望まれるのは、日本では被災地域の立て直し、韓国では部品供給基地の復興だ。韓国企業は、日本の規制、商習慣のネックもあるが、建設土木などで復興事業への参入機会がある。さらには、韓国企業が輸入部品工場を日本進出させることにより長期的反射利益が期待される。韓国の資本・経営、日本の技術・原材料、中国人労働力の黄金パッケージにより日本から部品・素材を在日韓国企業が韓国市場へ輸出する途が開かれる。


バックナンバー

<オピニオン>