◆延辺式開発モデル◆
改革開放以降、常に比べられてきた。中国南方地域の発展の雄となった深セン・広東地域と北方の東北三省の東端に位置する延辺朝鮮族自治州を中心とする地域だ。当初、軽工業を中心とする南方地域の発展スピードの速さと重工業地帯の東北地域の遅さが目立ち、「東北現象」なる不名誉な呼ばれ方をした。「ウサギとカメ」の教訓はカメが先にゴールを手にする。こうした比喩がよいかどうかは別にして、カメはカメなりの歩調で進む。
1992年にこの地域が開放され、国連開発計画による図們江流域開発計画で中朝ロの国境地域開発が脚光を浴びたがその後の進展はなかった。2003年に政府が「東北工程」を発表、東北地域の計画的開発が打ち出されたが開発主体は地方政府、民間企業であり、依然として香港・広東南部地域との差は開いていた。その後09年8月30日付で国務院は「中国図們江区域合作開発規画概要」を発表、低迷する図們江流域開発を国務院が新デザインとして打ち出した。
第11次5カ年計画期(06~10年)では、これまで地方活力を主体にする方針で民間経済を中心に地域開発を進めてきたが、充分な成果が得られないとし、この期から中央政府が直接介入し、これまで欠乏していた資金投入を含めた政府主導型の開発へと転換したことが急成長の要因となった。引き続き12年4月13日に「国務院弁公室の中国図們江地区(琿春)の国際協力模範地区建設に関する意見書」(国務院弁公庁19号、12年)を発布し、東北・図們江開発に弾みをつけた。つまり12年~15年に琿春に対して中央予算で域内インフラ建設投資を支援、琿春境界線の外の中朝、中ロのインフラ投資の拡充、東北アジア投資合作基金と東北アジア産業合作基金を設立などの開発資金整備を行ったのである。
直近では14年に入り国務院が「辺境地域の開発開放を促すことに関する若干の意見」を発効、吉林省延吉市をはじめ黒龍江省綏芬河、遼寧省丹東など6都市が国家級辺境開発開放試験区に指定されたことで長期的な安定を確保する上で有利になると期待されている。図で2000年以降の成長が目立つのはこのためだ。
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