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2017/07/28

<オピニオン>韓国経済講座 第197回                                                        アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

  • アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

    かさい・のぶゆき 1948年、神奈川県生まれ。国際開発センター研究員、ソウル大学経済研究所客員教授、秀明大学大学院教授を経てアジア経済文化研究所理事・首席研究員。

  • 韓国経済講座 第197回

◆5カ年計画に思う◆

 揺らぐ国政をまとめ上げられるのか?5月10日に第19代大統領に就任して新政権が成立したとは言え、この間これまでの山積する国家・国民課題に対して、まとまった新政権の方向と対策が示されてこなかった。文在寅政権が国政にどう取り組むかは、大統領選挙で主張した201件の公約(細部公約892件)を唯一の手掛かりとして語られてきた。

 7月19日青瓦台(大統領府)で「文在寅政府国政運営5カ年計画」が大統領同席のもとで、「国政企画諮問委員会」により発表された。同諮問委員会は、大統領就任1週間後の5月16日に発足し、従来の引き継ぎ委員会を代行するとともに、政府の組織、機能、予算状況を把握し、政府の政策基調の設定や主要政策の選定及び実行に向けた中・長期計画の樹立などを行い大統領に諮問する役割を果たすものである。30人の諮問委員で構成され、企画、経済1、経済2、社会、政治行政、外交安保に分けられている。

 「文在寅政府国政運営5カ年計画」と題する本計画の構成は、①国民が主人の政府②共に豊かに暮らす経済③国民の人生に責任を負う国家④均衡発展する地域⑤平和と繁栄の韓半島の5大国政目標の下、20大国政戦略、100大国政課題、487の実践課題を盛り込んだ総括的国政目標となっており、任期5年における「政策の設計図であり羅針盤」であると大統領も述べている。

 ところで、韓国政府が5カ年計画を打ち出すのは久しぶりである。1962年、当時の朴正熙大統領時代に「第1次経済開発5カ年計画」が実施されたのを機に96年まで7回(①62~66②67~71③72~76④77~81⑤82~86⑥87~91⑦92~96)の5カ年計画が行われた。元々経済計画は、社会主義国の専売特許で、旧ソビエト連邦が重要産業の国有化とともに5カ年計画を導入し世界恐慌を乗り切ったことで、多くの社会主義諸国に受け入れられてきた。戦後になり、資本主義諸国でも導入され、韓国をはじめ日本も鳩山一郎内閣の経済自立5カ年計画、宮澤喜一内閣の生活大国5カ年計画まで5カ年計画と題された経済計画が行われた。

 韓国における最初の経済計画は、第一次経済開発計画が広く知られているが、実はこの元計画があり、それは国会通過後政権崩壊で憂き目を見なかった。李承晩政権後半の59年1月に復興部産業開発委員会によって「経済開発3カ年計画試案」が作成された。これは「7カ年計画の前半に該当して自立経済体制の確立という長期的問題を解決する基礎としてまず自立化の基礎を造成することを目的とする」というものであり、「経済開発3カ年計画」として60年4月15日国務会議を通過した。しかし学生・市民による反政府運動により、李承晩政権が崩壊したことによりこの計画は実現されないまま消えてしまった。しかし、その後の朴正熙政権の経済計画作成において、この3カ年計画がかなり参考になったものと考えられる。産業開発委員会と経済企画院の作成部署の違いはあるものの3カ年計画試案(490頁)、3カ年計画書(311頁)及び5カ年計画(案、407頁)、5カ年計画書(321頁)ともに2割政策文書、8割経済統計で構成されている。しかし、


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