◆根を張る在日中国朝鮮族たち◆
もう30年を超える。1980年代前半、中国で教師の海外研修が解禁されたのをきっかけに中国の東北地域に在住していた朝鮮族の教師が来日したのが中国朝鮮族の初来日といわれている。留学生の派遣は文化大革命のために中断していたが、72年に再開された。主な派遣先はイギリスやフランスなど西側諸国であったが、日本への留学生派遣は、72年の日中国交正常化が契機となり、第1次日本語ブームをもたらした。多くの大学で日本語教育が開始されたこともあって、73年から派遣が開始され、79年には大量の派遣政策が始まった。
日本側でも受け入れ制度に変化があった。51年に制定された「出入国管理及び難民認定法」(入管法)の改正をする「出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律案」が、89年3月28日に閣議決定され、89年12月8日の参議院本会議で可決・成立した。同法律は89年12月15日に公布され、90年6月1日から施行された。外国人入国者の大幅増加、入国・在留目的の多様化、労働者不足、不法就労者の増加などにより、在留資格の整備入国・在留を認める外国人の在留資格の種類・内容が見直され、同法では従来の18種に加えて新たな在留資格が設けられ、28種類に拡充整備された。新規に加えられた在留資格は、「法律・会計事務」、「医療」、「研究」、「教育」、「人文知識・国際業務」、「企業内転勤」、「文化活動」、「就労」、「永住者の配偶者等」である。
こうした日中の送り出し・受け入れ環境の変化の中で、中国朝鮮族の留学生の来日も進み始めた。来日人数が増え始めたのは90年代になって日本のIT企業などが朝鮮族の採用に本腰を入れ、家族単位で来日したり、日本での朝鮮族同士の結婚が増えたことで日本に滞在する朝鮮族の人数増に拍車がかかったのである。来日増加の要因として朝鮮族の生活様式とITの発展が看過できない。生活様式の社会的原理は相互依存である。朝鮮民族は日本人に比べると表面的には民族意識・家族意識が強いことからなかなか受け入れにくいが、いったん受け入れると強い連携を築いている。社会的には相互依存による助け合う気持ちが強く、この相互依存原理が移動先の中国でも少数民族の朝鮮族社会を維持する要因となってきた。そしてその気質は日本にわたっても同じだ。
これにスマートフォンやパソコンなどの発達に合わせてWeChat(微信)などのメッセージングアプリの開発と発展によりコミュニケーション距離を一気に縮めたことで、送り出す側の心理的不安を取り除いたことによりさらなる親族・知人を日本に呼び寄せる強い絆となっている。また情報ネットワークという意味では朝鮮族のサイトSHIMTOの情報提供の存在も大きい。しかしながら、わが国では入国の際、国籍主義をとっているため民族別には把握できず、中国朝鮮族の正確な数値を把握することはできない。それでもこうした来日要因の拡大発展は、確実に在日中国朝鮮族の人数を増加させている。
ところで、
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