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2022/08/12

<オピニオン>韓国企業と日本企業 第119回 モンゴル帝国史の視座と企業経営②                                                  多摩大学経営情報学部・大学院経営情報学研究科 金 美徳 教授

  • 韓国企業と日本企業 第119回 モンゴル帝国史の視座と企業経営②                                                  多摩大学経営情報学部・大学院経営情報学研究科 金 美徳 教授

    キム・ミトク 多摩大学経営情報学部及び大学院経営情報学研究科(修士・博士課程)教授、アクティブ・ラーニングセンター長。1962年兵庫県生まれ。早稲田大学院国際経営学修士・国際関係学博士課程修了。㈱三井物産戦略研究所を経て現職。

◆長期にわたり合併を防ぎ王朝を維持した高麗◆

 モンゴル帝国史の視座から企業経営を考察する。モンゴル高原は、744年~840年の約1世紀に渡ってトルコ系ウイグル帝国が支配していたが天災・内乱・キルギスの侵入によって瓦解し、ウイグル人は西部に移住した。一方、少数民族・部族であったモンゴル系諸部族は、混乱の間隙を突いてモンゴル高原の東部を割拠した。その後、モンゴル高原の東部では、優れた指導者として一目置かれるようになっていたテムジン(チンギス・カーンの幼名)が、1200年に父を毒殺したタタール部族を滅ぼしたのを機に、モンゴル部族内の氏族集団を統一した。そしてテムジン(鉄木真:1167年生まれ)は、モンゴル高原のタタール、ケイレト、ナイマンなどの敵対部族を征服し、1206年クリルタイ(部族長会議)にてテムジン改め、チンギス・カーン(成吉思汗:当時39歳)が初代皇帝となり、モンゴル帝国を築いた。正式名称は、「イェケ・モンゴル・ウルス」であり、直訳すると「大モンゴル国」である。「ウルス」というこの言葉は「国」という意味より「人の集まり」という意味の方が強い。


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