◆長期にわたり合併を防ぎ王朝を維持した高麗◆
モンゴル帝国史の視座から企業経営を考察する。モンゴル高原は、744年~840年の約1世紀に渡ってトルコ系ウイグル帝国が支配していたが天災・内乱・キルギスの侵入によって瓦解し、ウイグル人は西部に移住した。一方、少数民族・部族であったモンゴル系諸部族は、混乱の間隙を突いてモンゴル高原の東部を割拠した。その後、モンゴル高原の東部では、優れた指導者として一目置かれるようになっていたテムジン(チンギス・カーンの幼名)が、1200年に父を毒殺したタタール部族を滅ぼしたのを機に、モンゴル部族内の氏族集団を統一した。そしてテムジン(鉄木真:1167年生まれ)は、モンゴル高原のタタール、ケイレト、ナイマンなどの敵対部族を征服し、1206年クリルタイ(部族長会議)にてテムジン改め、チンギス・カーン(成吉思汗:当時39歳)が初代皇帝となり、モンゴル帝国を築いた。正式名称は、「イェケ・モンゴル・ウルス」であり、直訳すると「大モンゴル国」である。「ウルス」というこの言葉は「国」という意味より「人の集まり」という意味の方が強い。
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