プロ野球の近鉄、中日、西武で活躍し、昨年末の引退後は野球解説者兼コメンテーターとしてテレビ・ラジオに出演している金村義明(本名・金義明)さんが、自伝「在日魂」(講談社、1600円)を出版した。野球を始めた少年時代から、優勝投手となった甲子園での活躍、プロ野球で一軍定着までの苦労、「日本人の何倍も努力しないと、在日は認められない」と語った母の教えなど、まさに”在日魂”が伝わる本だ。11月下旬の出版以来、売れ行きも好調だ。金村さんに話を聞いた。
「負けたらあかん」を胸に
||出版の動機は。
引退後、講談社から熱心に出版を勧められた。野球界の話を面白く書いた本は多いが、それよりも在日として前向きに生きてきた半生をつづりたかった。
在日4世となる息子が、小学6年生を筆頭に3人いるが、子どもたちにも将来読んでもらいたい。妻は思い出すことが多かったのか、泣きながら読んでくれた。
||在日3世としての金村さんの生き様とは。
幼いころ母に、「ヨッちゃんは日本人ではなく朝鮮人や。引け目を感じんでもいいが、絶対に(日本人に)負けたらあかん」と教えられた。
報徳学園時代、エースナンバー1番が自分と交代させられたとき、その投手の母親が「せっかく監督に言って使ってもらうようにしたのに、センチョウなんかに取られて」と怒鳴ったのを聞いた母は、「センチョウ」が「朝鮮」を逆さまにした表現だとすぐにわかって悔しい思いをした。
試合後、母は泣きながら「絶対に負けたらあかん」と繰り返した。この「負けたらあかん」を肝に銘じて、自分は育った。
||入団時のいじめ、二軍生活の悲哀、伝説の”一〇・一九決戦、FA、そしてトレードと、18年間のプロ野球生活の話がとても興味深い。
「球団史上最高の契約金」と騒がれて近鉄に入ったので、チーム内には反感が満ちていた。また鳴り物入りでスタートしたが、一軍の壁は厚く二軍との往復が続いた。不安を打ち消すため、酒と女におぼれる状態が続いた。当時のコーチ陣に打撃・守備を厳しく指導され、5年目からレギュラーに定着できた。
逆転優勝目前で夢がつぶれた89年の一〇・一九決戦は、野球人生を通して最高最大の体験だった。その後、鈴木啓示監督の指導力不足でチームがばらばらになってしまい、ぼくもFAで中日、さらにトレードで西武へ行った。相次ぐケガと年齢からくる衰えで引退を決意したが、もっと続けられなかったかといまでも悔いが残っている。後輩たちには、一日でも長く現役生活をするように努力しろとアドバイスしている。またいつの日か、監督をやってみたいと考えている。”野球人”として生き抜きたい。
||子育て論の本としても参考になる。
在日としてのルーツと親を敬うことの大切さは、子どもにしっかり伝えたい。また約束を破ってはいけないことも教えている。異論があるかもしれないが、同じ間違いをさせないためには体罰も必要だと考えている。
||最後に、在日の読者に一言。
「昔ながらのファンで楽しく読ませてもらった」「同じ在日として勇気をもらった」などの反響を、在日の方々から多くいただいた。私の個人史を書いた本だが、読んで元気になってくれたら何よりだ。在日の野球少年には、特に読んでもらいたい。21世紀は日本人だとか在日だとかでなく、人間としての生き方が大事な時代になるだろう。
略歴
キム・ウィミョン 1963年兵庫県宝塚市生まれ。79年報徳学園高等部入学。81年は春夏連続で甲子園大会に出場。エースで4番として夏の大会の全国優勝に貢献。その年のドラフト会議で近鉄から1位指名され入団。勝負強いバッティングで三塁手として活躍する。95年、FAで中日に移籍。97年西武に移籍。99年引退。在日の衣里夫人との間に3男。