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2001/10/26

<在日社会>新しい絵画の原理追求 李禹煥

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              李 禹煥 氏

 大きなキャンパスに点や線を描いた絵は、洗練された美しさの中に深い精神性を感じさせる。東洋の思想と西洋の哲学とテクニック、2つの融合から新しい抽象画の世界を切り拓いた李禹煥は、日本に住みながら世界を舞台に活躍する画家。その活動は絵画、彫刻、し、美術評論と多岐にわたる。
 1936年、韓国の慶尚南道咸安郡に生まれ、国立ソウル大学をを中退後、日本に移る。日本大学文学部哲学科で学び、その後、本格的に美術の世界に身を投じた。69年に論文「事物から存在へ」を書き、当時、日本で起こった美術運動「モノ派」の主導的役割を果たす。
 白っぽいキャンパスに、黒や藍、朱などの色彩で筆の後を残すような線や点を描くといった絵画は、オリジナリティーに満ち、とりわけ、余白に深い意味合いを持たせている。その技法は書道の筆遣いにも似ており、そこに油絵の技法を用いた全く独自のもの。
 70年代初めの「点より」シリーズから、「線より」シリーズ、そして「風と共に」シリーズ、よりシンプルに削ぎ落とされ、余白が重要な意味を持つ「照応」シリーズまで、少しづつ変遷しながら現在のスタイルに到達。立体作品では60年代から続けている石と鉄板という単純な組み合わせによる「関係項」シリーズで、目に見えない何かを感じさせようとしている。
 現在はパリにアトリエを構え、日本とフランスを行き来しながら創作活動を行っている。ヨーロッパでは、パリの国立ジュ・ド・ポム美術館での回顧展をはじめ、この6月にはドイツのボンでも大規模な絵画のみの回顧展が開催された。2001年11月、中国の上海ビエンナーレでユネスコ賞を受賞。著書に評論集「余白の芸術」などがある。
世界文化賞授賞画家の李ウファン氏 新しい絵画の原理追求

――どこが評価されたと思うか。

 日本や韓国ではあまり知られていないが、欧州では高い評価をもたっており、各地で展覧会を開催している。実は今回の受賞もドイツから強い推薦を受けた。

 自分の描くことを限定しながら、描かないこととどう連絡つけるか。僕のことばが問題になるとすれば作らない要素を取り入れる、作らないものとのコンタクトを取る、その部分が注目されたと思う。他人と出会うことです。自分たち共同体の仲間だけがわかる表現では駄目だ。


――創作スタイルについて。

 狭い世界の中でやろうとするとうまくいかない。ということでまたヨーロッパへ行った。しかし、無名のうちはいいが、70年代後半からだんだんいろいろ矢面に立って、一線に立つようになると、「おまえはアジアだ。おまえは東洋人だ」と言われる。つまり、これは排除の論理であり、サイードのいうオリエンタリズムだった。

 いまの芸術家の90%以上は一箇所にとどまっていない。動き回っている。未知との出会いを求めている。私も未知との出会いを求めて仕事を続けている。
 

――絵画の身体作用について。

 僕のからだは小さいと思う。でも、このからだは決して馬鹿にできるものでないのは、僕じゃない要素、つまり内と外をつなぐような媒介としてのからだだからだ。からだは僕の考えていることよりはるかに大きなメッセージを伝えることができる。


――画風の変化について。

 描けなくなった時期がある。点の描き方で、精密、厳密の極致に達し、次に行こうとした時だ。からだが拒否反応を起し、キャンパスの前に立つと手が震え出して、アル中でもないのに、もうどうしようもなかった。


――モノ派について。

 水、土だとか自然石を空間とからませるとか、物と物をぶつけ合わすとか、そのような運動が起こった。作ることに疑問を持って、作ることに批判的になって作らないものにも目を向けさせようという運動だ。モノ派というのはどうも作らない要素があるらしい。

 75年、はじめてパリで個展を開いた時、僕の作品について、この石は勝手にしゃべってから半分くらいは僕の作品で、半分くらいは僕の作品ではないかもしれないと答えたら、当時僕に聞いてきた人は理解できないと言った。今は誰もそのような質問をしない。60年代後半は創らない要素の導入は認められていなかった。


――米テロ事件について。

 近代的な考えは自らのエゴを無制限に拡大させ、他人のすることは価値がないとみなしてきた。これは非常に恐ろしいことであり、私は芸術活動で自分を限定して自分以外のものと接合しあえるか、響き合えるかということを大切にしていきたい。

 今回の事件は基本的な姿勢を再確認する契機になった。
 

――在日の若い世代へのメッセージを。
 (在日という枠付けでのコメントは)ない。頼りになれるのは自分だけであり、自分の力だけでやってほしい。国や地域は関係ないと思う。できるだけ多くの地域を歩いてほしい。

【略歴】
 リー・ウファン*1936年、韓国・慶尚南道咸安郡生まれ。56年ソウル大学中退し来日。日本大学文学部哲学科卒業。
69年に論文「事物から存在へ」が美術出版社芸術評論に入選。79年第11回東京国際美術ビエンナーレに入賞。90年韓国文化省より文化勲章花冠。91年にフランス文化省より芸術文芸勲章シュヴァリエ章。2000に韓国・光州ビエンナーレ。中国・ビエンナーレでユネスコ賞2001年多摩美術大学教授。韓国湖厳賞芸術賞。ドイツ、ボン市美術館で大回顧展。主な著書に評論集「出会いを求めて」、「余白の芸術」など。