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2001/08/24

<在日社会>浮島丸事件真相は依然謎のまま

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    45年8月に沈み54年2月まで放置された浮島丸

 解放直後の1945年8月24日、祖国に向かう韓国人を乗せた旧日本海軍の特設輸送船「浮島丸」が、京都の舞鶴湾で爆発し沈没。韓国人労働者とその家族500人以上と日本人乗組員25人が死亡したとされる同事件をめぐり、韓国在住の生存者や家族が日本を相手に、計30億円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の判決が京都地裁で言い渡され、原告が一部勝訴した。爆発原因については機雷に触れたと結論づけた。

 この日の判決で京都地裁の水上敏裁判長は、浮島丸の生存者15人については、「国との間に当時、旅客運送契約に近い関係が成立した」として、精神的苦痛に対し1人300万円の賠償を命じた。公式謝罪などの請求は退けた。爆発原因については機雷に触れたと断定し、「米軍敷設の機雷があることがわかり、出航を見合わせることも可能であった」として、被告の「不可抗力説」を否定した。

 「浮島丸」は、青森県北半島の鉄道建設現場などで労働を強いられていた韓国朝鮮人労働者とその家族を乗せ、45年8月22日青森県大湊を出港、24日午後5時20分京都府の舞鶴港に入ったところで船が爆発した。
 
 日本側の公式見解では、爆発の原因は米軍が敷設した機雷に触れたためとなっているが、韓半島に渡ることを恐れた日本人乗組員が爆破したなどいろいろな説もあり謎に包まれている。また死亡者数も、多くの駆け込み乗員があったという証言もあり不特定だ。

 またこの事故は多くの犠牲者が出たにもかかわらず、原因はほとんど調査されないばかりか、日本では1カ月以上も報道されなかった。死体の多くは引き揚げるまで9年間、マストを海面に突き出したまま放置されていた。

 韓国在住の生存者や遺族が提訴したのは92年8月。3次にわたる提訴で原告数は80人になる。

 原告側は「浮島丸」沈没事故に対する日本側の責任を主張、日本側はこれに対し「安全配慮義務を負う雇用契約などは存在しない」としながら、法的な責任はないと反論していた。

 遺族らは裁判の中で、真相究明のため関係資料の開示を要求した。しかし日本側が出した死没者名簿は肉親特定の手がかりとなる本籍地がプライバシーを理由に隠されていた。死亡した日本人乗組員25人は「戦死」扱いされ、遺族補償がなされている。