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2002/08/16

<在日社会>精神世界に切り込んだ在日文学

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        金城 一紀㊧、 柳 美里㊥、 梁 石日㊨

 在日同胞の精神世界を描写してきた在日文学。だが、半世紀を超す解放後57年がたち、在日社会の世代交代に伴い、在日文学に表現されるテーマも大きく変わってきた。在日の枠をはみ出、日本の読者を確実につかんだ売れっ子作家も登場している。だが、在日性はどの作家にも色濃く刻印されている。

 アイデンティティー。自分は一体何者なのか。日本で生まれ育った在日2世にとって最大の自問だった。60年代から70年代にかけて在日2世の心をつかんだ李恢成、金鶴泳は、その心の拠り所に一つの回答を示した。その作品「伽?子のために」「凍える口」は本国とどう向き合えばいいのか、在日としてどう生きればいいのかと悩み格闘していた多くの在日2世青年にとって胸打つものであった。

 これは、戦後から50年代にかけて在日文学をリードしてきた金達寿ら1世作家とは全く質を異にしている。過酷な植民地支配の末、日本という異国での差別と偏見を生き抜いてきた1世らの悲しくも信念に満ちた青春像を描くというスタイルが一変。在日2世青年たちの内面世界に深く踏み込み、その悩み、生き方に対して一緒になって格闘、文学作品に形象化した。それが在日青年に支持された秘密だった。

 だが、その後在日文学は長い沈黙期に入った。在日青年を魅了にする作家・作品が生まれなかった。金鶴泳の作品に触れ大いに感動、在日の思想的根拠を探求した竹田青嗣・明治学院大教授は、「芥川賞作家の李良枝という優れた女性作家が登場するまで、李恢成、金鶴泳以降の空白の20年間は何だったのか。大きな謎だ」と疑問を投げかけた。

 南北分断という祖国の対立状況は相も変わらず、差別・偏見もなくなったわけでない。だが、時代状況は大きく変わり、置かれた環境にも変化が生じた。それは在日青年たちの精神世界にも大きな影響を及ぼした。祖国とは何か、民族とは何かという問いから発し、在日はどう生きるべきなのかと解答を追い求めて行く構図はその後も続いていったが、その一方で問題意識や色合いの違う在日作家群が登場、テーマも多様化してきた。

 90年代に入り、芥川賞を受賞した柳美里、玄月、それに昨年映画化された直木賞受賞作「GO」で評判となった金城一紀ら20代30代の2・3世作家である。柳美里は家族の崩壊を描いた「家族シネマ」「ゴールドラッシュ」などで在日・日本人の別なく、家族関係に悩む多くの読者を獲得。特に若い女性読者の共感を得た。

 金城一紀の作品は在日朝鮮人と日本人の若い男女の恋愛を描いたものだが、国籍、民族を乗り越えようとする姿と、軽いタッチの文体が若者層の強い支持を得た。玄月の「陰の棲み家」は、大阪の下町を舞台に在日と日本人の交流を描いている。

 金達寿ら在日1世の作品を第1世代文学、李恢成、金鶴泳を第2世代文学とすれば、これら90年代以降に登場した柳美里らの新しい作品群は第3世代文学と呼ぶことができよう。年代的には第2世代に属する梁石日も、その内容において第3世代文学に入る。映画化された「月はどっちに出ている」の原作者として話題を呼び、最近では自伝的小説「終わりなき始まり」で、アイデンティティーを追い求めて80年代を生きた在日青年たちがいま40代になって社会の中心になり、新たなアイデンティティーを模索する新しい挑戦を試みている。

 これら第3世代文学の特徴はなにか。南北分断が在日を政治活動に追いやり、差別や貧困が様々な心のねじれを生み出し、アイデンティティー葛藤をもたらした。これと格闘するという、いわゆる「在日文学のモデルテーマ」から自由になっているということに尽きる。より、日常性に根ざし、人間の本性というところに照準を当て、そこに鋭く切り込んでいる。この第3世代文学が日本人読者を確実につかんでいるのは、そのテーマと無縁でない。

 金城一紀の「GO」は25万部を売り、梁石日の「血と骨」は20万部のベストセラーとなった。柳美里の一連の作品は10万台の固定読者層がいる。売れっ子作家といってもいいこのような現象はかつて例のないことだ。

 従来のような在日を大上段に振りかざすことから逃れているからだろうか。特に柳美里は、初期の作品に比べテーマとしての在日は消えている。だが、最近映画化され話題になった「命」では、帰化のことで「国籍は大事なことなのよ」と妹に言わせている。在日らしきことが分かる唯一の場面であるが、ここに本名を使い韓国籍を維持している彼女の在日性が刻印されている。

 梁石日氏は、「文学は人間を、自我を描くものだ。在日という自我を避けて書くことはできない。作家である以上、それは続かざるを得ない」話す。竹田青嗣氏も「自分の断面を描くことが出発点だ。それが人々の心をうつかどうかだ」と指摘する。

 いまの在日青年は3世4世が主流であり、考え方も多様化している。在日文学は彼らの精神世界が広がり豊かになる力になるのか。在日文学に問われている最も重要な点だろう。