大阪城ホールで開かれていた世界柔道選手権大会(国際柔道連盟主催、全日本柔道連盟主管、大阪市共催)が、11日から14日まで4日間の戦いを終えて終了した。北朝鮮の57㌔級女子代表のケー・スンヒ選手(24)は、北朝鮮唯一となる金メダルを獲得、3階級制覇を達成する偉業を成し遂げた。在日選手は3人が、韓国、北朝鮮、日本の3つの立場に分かれてエントリーされ、メダル獲得は成らなかったものの全力を尽くした。大会は日本が金メダル6でトップ、韓国は金3個2位、北朝鮮は金1で6位に入った。
世界柔道選手権は2年に1度行われ、柔道の世界王者を決める大会。今回は史上初となる97の国・地域が参加し、男女各8階級に分かれて試合が行われた。韓国は男子9人、女子7人の計16人、北朝鮮は男子4人、女子3人の計7人が出場した。
注目を集めていたのは6連覇を狙い見事達成した日本の田村亮子と、その田村亮子をアトランタ五輪(96年)で破って世界中に名をとどろかせ、北朝鮮の国民的英雄となったばかりでなく、韓国、在日社会をも興奮させたケー・スンヒである。
ケー・スンヒはアトランタ五輪では48㌔級で出場、強い腕力を生かして、優勝間違いなしといわれた田村の技を封じて破り、「怪力少女」と呼ばれた。その後もパワートレーニングに注力し、体が成長するごとに階級をあげてきた。
2000年のシドニー五輪では52㌔級で試合に臨み、惜しくも銅メダルに終わったものの、2001年ミュンヘン世界選手権では52㌔級で優勝、そして今回、さらに体重、パワーをつけて57㌔級に臨んだ。
決勝では大腰でドイツのベニシュを投げて技を取り、さらに上四方固めに入ると、投げられて手をついたときに左ひじを脱臼していたベニシュが試合を放棄、棄権勝ちとなった。この瞬間、五輪、世界選手権ともに例の無い史上初の3階級制覇を達成した。
優勝が決まった瞬間、両手を高くあげ、喜びの涙を流しながら、「在日同胞のみなさんの声援に感謝します」と答えたケー選手。国際大会にデビュー以後、南北関係無くあたたかい声援を送ってくれた同胞への感謝の言葉を忘れなかった。
アテネ五輪でも57㌔級での出場が予定されている。
ケー・スンヒが世界柔道選手権6連覇に輝く日本の田村亮子(28)を抑えて女子の”ベスト柔道家”に選ばれた。
ベスト柔道家は各級の優勝者の中で最も優れた技術と模範を見せた選手に与えられる賞で、国際柔道連盟(IJT)が選ぶ。男子の”ベスト柔道家”には男子100㌔級で全て1本勝ちを取った日本の井上康生が選ばれた。
韓国は男子代表が3つの金メダルを獲得し、男子柔道復活に向けて力強い一歩を踏み出した。
同じ龍仁大出身の3人組、90㌔級の黄禧太(25)、73㌔級の李ウォンヒ、60㌔級の崔敏浩(23)である。
韓国選手団は、今大会から導入されたゴールデンスコア(GS・延長サドンデス方式)に備え、筋力・持久力を高める練習を積むと共に、外国有力選手を徹底的に分析してきた。それが功を奏し、97年大会以来、最多タイのメダル獲得となった。
今大会直前に故障で出場辞退した100㌔級の蒋聖皓が復帰すれば、アテネ五輪では4人のメダル候補を抱えて大会に臨むことができる。
今大会にエントリーされた3人の在日選手のうち、81㌔級で出場した在日4世の秋山成勲(28、韓国名・秋成勲、平成管財)は、日本代表を目指して2001年に日本国籍を取得した。秋山は準決勝残り6秒でドイツのワナーに大外巻き込みでまさかの逆転負け、3位決定戦でも敗れ5位入賞に終わった。
同じ81㌔級で北朝鮮代表として出場した在日3世の金泰義(近大4年)は、1回戦でアルメニアのガリビャンに敗れた。
蒋聖皓の負傷欠場で急きょ韓国代表に選ばれた姜義啓は、エントリーにとどまった。