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2003/08/29

<在日社会>日弁連、小泉首相に勧告書

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    日本弁護士連合会人権擁護委員会で証言する文茂仙氏(左、2001年2月)=「朝鮮人強制連行調査の記録 関東編1」(柏書房)より

 日本弁護士連合会(日弁連)は25日、小泉首相あてに関東大震災時の朝鮮人虐殺について日本政府が責任を認めて謝罪することと真相調査を求めた勧告書を提出した。当時15歳で虐殺事件を経験した横浜市在住の文戊仙さん(ムン・ムソン、女性、95)が、日本弁護士連合会(日弁連)に人権救済の申し立てを行い、日弁連は4年間の調査を経て勧告書を提出したものだ。また9月1日を前に、都内各地で朝鮮人虐殺に関するシンポジウムや映画上映会などが予定されている。

 日弁連に人権救済の申し立てを行った文戊仙さんは、現在の韓国・慶尚南道鎮海市の出身。関東大震災発生時には現在の品川区大井に居住していた。

 当時15歳の文さんは、自身も襲われたほか、父の知人が虐殺されたり、虐殺された朝鮮人の遺体にさらに残酷な仕打ちが加えられるのを目撃した。

 そして事件発生から80年を経た今日に至るまで、日本政府が責任を認めたり、謝罪をしたことは一切ないとして、①関東大震災時の朝鮮人虐殺は「集団虐殺」であり、重大な人権侵害である②国際法により外国人(他民族)に対する集団虐殺行為の責任がある③加害責任者を日本の国内法により処罰しなかった日本政府の責任を明らかにする④日本政府は虐殺の責任を認めて謝罪するとともに、集団虐殺の再発防止措置をとる、などを行ってほしいとして訴えたものだ。

 人権擁護委員会はこの間、本人から事情聴取を行い、その後は学者、関係者からの事情聴取、東京都公文書館、防衛庁史料編纂所、憲政資料室などの資料を閲覧し、事実調査を行ってきた。

 その結果、朝鮮人虐殺事件は、内務省警保局が放火や暴動のうわさを「朝鮮人暴動」「来襲」などの言葉を使用して、事実のように全国に通告したことが原因と指摘した。

 日本の軍隊による朝鮮人殺害事件は政府の記録に残っているだけでも、大島町8丁目で3名の兵士が朝鮮人を殴打したことがきっかけとなり群衆と警察により朝鮮人200人が殺された事件など12件が判明している。

 日弁連は、「虐殺事件の根源にある民族差別は、いまだ日本社会に根深く存在する」として、日本社会に警鐘を鳴らした。また強制連行真相調査団は、「日本政府が勧告を重く受け止め、その責任を果たすことを求める」との声明を発表した。


◆文戊仙さんの証言

 関東大震災当時、大井(東京都品川区)にあった東京毛織の紡織工場で、女工として働いていた。工場近くにある長屋に住み、隣に叔父夫婦が住んでいた。震災当時、両親は千葉の飯場で働いていたため、家にはすぐ下の妹の2人だけだった。

 9月1日、激震で長屋中の人たちがおびえ、大家の家に集まって夜を明かした。叔母は地震のショックからか、2日早朝に双子を出産した。混乱の最中の出産なので、食べ物はない、産婦は乳が出ないで、私たちは叔母の家でただオロオロするばかりだった。

 そこへ突然見知らぬ日本人たちが、日本刀やトビグチ等を手に手に持って、「朝鮮人は悪い奴らだからみな殺しだ」などとわめきながら入り込んで来た。私たち姉妹が叔母を守るようにして震えていたら、大家さんや長屋の人たちが来て、「この人たちは何も悪いことをしていない」と証言してくれた。懸命にかばってくれたので、彼らは「気をつけろ」と捨てぜりふを残して立ち去った。

 このときのことを思い出すと、いまでもむしずが走る。だから日本で生活しても、日本人に心を許すことは出来なかった。(朝鮮人強制連行調査の記録 関東編1より)


◆ 関東大震災
 関東大震災は1923年9月1日に発生したマグニチュード7・9の大地震で、震災直後に火災が発生したこともあり、東京を中心に約14万人の死者・行方不明者を出しす大災害となった。震災直後から、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」などのうわさが流れ、軍隊、警察、自警団などによって6000人を超える朝鮮人、それに中国人数百人が虐殺されたといわれる。日本政府による事件の真相究明は、いまだ行われていない。