50年代末に始まった帰国事業で、北朝鮮に10万人近い人たちが渡った。最近になって北朝鮮の食糧危機、核危機、脱北者問題などが伝えられる中、北朝鮮の親族への思いを本や歌に託した在日女性の声が相次いでいる。それらの声を紹介する。
在日3世で人材育成技術研究所所長の辛淑玉さん(44)は、北朝鮮に帰った祖父と叔父一家への思い、自身の生い立ち、朝中国境を訪れてそこで見た北朝鮮難民の姿などをまとめた「鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)」(解放出版社)を出した。
「韓国で生まれたが幼いときに奉公人として日本人の家に引き取られたため、朝鮮語も朝鮮の文化もほとんど知らずに日本で育ち、日本文化が染み付いていた祖父だったが、65年に叔父(母の弟)とともに帰還船に乗った」。その背景には日本での民族差別、就職差別があり、その活路を帰還に見い出したという。
しかし祖母は帰還を拒んだ。多くの在日が経験した家族離散が、辛さんの家族にもあったのだ。その辛さん自身も日本での厳しい民族差別に耐えかね、「帰還船に乗り込もう」と考えるが直前で断念する。
叔父が帰って14年後の79年、音信普通だった叔父から突然、「俺を助けてくれ」との手紙が辛さんに寄せられた。しかし辛さんは、その血判が押された手紙を読むことが出来なかった。「これ以上、人生を苦しめられたくなかった」のだ。
その後、叔父が亡くなったと聞き、また朝中国境を訪れて物乞いをする難民の姿や、北問題がクローズアップされる中で日本での排外主義の高まるのを見て、自伝の出版を決意した。差別と貧困を生き抜いた彼女の家族の姿は、多くの在日の歴史でもある。
在日2世で同人誌「鳳仙花」主宰者の呉文子さん(65)は、帰還第1船が新潟港を出港する前日、歓送会前夜祭のステージに合唱団の一員として上がった経験を持つ。
船が出港する直前には、「いい知れぬ生活苦と辛酸をなめた日本を後に、祖国への希望に満ちた帰国者と送る人たち。興奮の中で親子、兄弟、親戚、友人たちの様々な別れのシーンが涙とともに繰り広げられていた」と当時を振り返る。
呉さんの父はこの帰国事業に関係していたが、直後に帰国者の生活苦を知り、「自分たちの力で祖国建設に参加する覚悟を持たねば帰国する意味がない」と物心両面の準備と心構えを訴え、62年に「楽園の夢破れて」(復刻本-亜紀書房)を出した。
「父が40年前に予見したことは何だったか、当時の状況をこの本から知ってほしい」と訴える。
在日2世のシャンソン歌手、朴(星)聖姫さん(53)は、帰国者と統一への思いを込めて作った歌「ああ、清津へ」などを歌うリサイタルを、7月16日午後7時から東京・天王洲のアートスフィアで開く。
朴さんの親族も北に渡っており、「一日も早く自由に再会できる日を願って、そして生きることへの希望を歌に託したい。多くの在日同胞に聞いてもらいたい」と抱負を話す。