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2004/02/20

<在日社会>在日1世の陳昌鉉さんに光「バイオリン製作」究めた生涯

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    バイオリン製作に生涯をかける陳昌鉉さん (c)植田敦

 世界に5人しかいないバイオリンの「無鑑査製作者」に84年に認定された在日韓国人、陳昌鉉さん(74)が脚光を浴びている。陳さんの自伝「海峡を渡るバイオリン」(河出書房新社)や、それを漫画化した「天上の弦」(小学館)、そして陳さんの楽器によるCD「天上の弦、響く」も発売されるなど、静かなブームを呼んでいる。23日にはコンサート「天上の弦」が都内で開催され、陳さんも訪れる。

 「東洋のストラディバリウス」とも表され、74歳の現在も現役としてバイオリン製作を行っている陳昌弦さん。

 76年、フィラデルフィアでのコンクールで5部門制覇を成し遂げ、一躍有名になった。84年にはバイオリン製作者協会から世界に5人しかいない無鑑査製作者に認定されるなど、世界屈指のバイオリン製作者となった陳さん。しかし、その人生は激動を極めた。

 陳さんは1929年、韓国の慶尚北道で生まれた。当時は日本の植民地時代で生活が苦しく、13歳で父を亡くした陳さんの家族は中でも困窮にあえいでいた。14歳の時に生まれ故郷を離れて日本に渡る。日本なら仕事が見つかるとの思いからだった。

 横浜で人力車を運転したり、パチンコ屋の店員をするなど様々な仕事につき、韓国戦争に赴く黒人兵と酒を飲み交わす経験もしながら勉強に励み、教員資格も取るが、「国籍が違うから、この資格はアクセサリーにしかならない」と言われ打ちのめされる。

 そんな時、韓国で聴いた懐かしいバイオリンを思い出し、楽器屋に行くが、20歳を過ぎてから稽古をしても生計を立てるには無理と断念する。そんな悶々とした日々が続く中、たまたま「バイオリンの神秘」という講義を聞いたのがきっかけで、バイオリン作りを決意する。

 教えてくれる師匠もないまま、独学で研究、試行錯誤を繰り返し、創意工夫を重ねてバイオリン作りに励む。いつしか陳さんの製作したバイオリンは評判を呼び、値も50万円、70万円とつり上がっていった。

 結婚もして生活が落ち着き、再び祖国の土を踏んだのは76年、フィラデルフィアでの受賞直後で、5つのメダルを持っての入国だった。
 
 故郷滞在中も、懸賞金欲しさの親族に「北のスパイ」と密告され、警察の取り調べを受けたりと心休まる時のなかった陳さんだが、99年に自作のバイオリンを韓国に持ち込み、母の墓石の前で息子と共に「鳳仙花」を弾いて、母の霊をなぐさめた。

 これが自伝「海峡のバイオリン」に記されている陳さんの人生だが、これを読んだ漫画家の山本おさむ氏が感動し、コミックとして世の中に伝えたいと希望。2003年4月からビッグコミックに連載を始めた。

 コミックは大反響を呼び、単行本化されて現在2巻まで出ている。編集担当者の石川さんは、「10代から60代まで幅広い声が寄せされている。陳さんの母親に対する愛情に共感したという女性からの投書も多い。また、日本人恩師との交流に見られる民族を越えた師弟愛に感動したという人も多い」と話す。

 さらに陳さんのバイオリンとビオラを使ったCD「天上の弦、響く」(ドリーミュージック)が、陳さんの人生に関わり深い「鳳仙花」「荒城の月」などの曲を入れて製作・販売。CD収録曲を演奏するコンサートは、23日午後6時30分から東京・大手町の日経ホールで開催される。

 全体の構成を担当する陳さんの娘さんの昌淑さんは、「自伝の朗読と演奏を重ね合わせ、父の人生を浮かび上がらせたい」と話す。

 当日演奏するバイオリニストの木全利行さんは、「陳さんのバイオリンは柔らかい音がして立体感がある。その音色を感じてほしい」と話す。

 陳昌弦さんは、CD発売やコンサートについて「バイオリン製作者としてこのうえない光栄」として、「自分はまだまだ7合目。ストラディバリウスなどの名器は、作者が80歳を過ぎた晩年に作られたものが多い。私はまだ75歳、これからです」と語っている。