1968年の京都を舞台に、朝鮮学校生と日本の高校生らのケンカ、恋愛を描いた青春群像映画『パッチギ』(井筒和幸監督)が、好評上映中だ。「平和への願いを映画に込めた」とする井筒監督に話を聞いた。
映画『パッチギ』は、松山猛の自伝的小説「少年Mのイムジン河」が基になっている。南北に分断された韓半島の悲しみをうたった「イムジン河」は、ザ・フォーク・クルセダーズによってシングル盤が作られたが、政治的な問題に巻き込まれることを恐れたレコード会社が自主規制し、発売中止となった。そのいきさつを記録したのが同書だ。
「イムジン河の歌のことは知っていた。今回原作を読んで映画化する価値があると思った。韓半島の分断、そして平和と戦争の問題についてこの歌を通して伝えたいと思った。先日イムジン河を訪れたが、戦争が終わって半世紀経っても分断の状況が変わっていない。これは本当に悲劇だ」
井筒監督は奈良県出身。近所に在日の家族がいて、そこの子どもたちと遊び仲間だったという。
「奈良出身のせいか、小さいときから古代史に関心があった。『ナラ』という言葉が韓国語の『国』から来ていることも学んだし、日本と韓半島の歴史にも興味を持った。小学生の頃は近所に住んでいた朴さんの家の兄弟とよく遊んだ。お兄ちゃんがガキ大将で、いろんな所に連れて行ってもらった。その家はボロ屋をやっていて、ご飯をごちそうになったことがあるが、にんにくの匂いをよく覚えている。周囲の人があそこはニンニク臭いといっていた。僕も何となく朴さんの家はくさいと言ったら、母にすごく怒られたのを覚えている」
井筒監督の高校時代、朝鮮学校生と日本の高校生のケンカが日常茶飯事だった。井筒監督も実際に見聞きし、なぜ在日の人たちが日本にいるのかと考えたりした。その時の経験を基に作ったのが、85年の映画『ガキ帝国』だ。
「在日のある暴れ者に出会ったことがある。朴アンソンというサッカー少年くずれで、彼は大阪朝鮮高級学校のサッカー部は強いのに、なぜ国体に出られないのかと言っていた。ヘディングがとてもうまい選手で、それをパッチギ(頭突き)に使っていた。彼の姿が頼もしくもあり、逆になぜケンカばかりするのかと考えたりもした。なぜ在日の人たちが日本で生活しているのかと考えたりもした。彼らの姿を思い出して、66年ごろの大阪を舞台に『ガキ帝国』を作った。それが今回の『パッチギ』につながっている。」
朝鮮学校生がバスをひっくり返した事件、日本の高校生との川を挟んでの集団決闘、すべて実際にあった事件をもとに構成している。朝鮮学校生の使う朝鮮語や学校の雰囲気など、卒業生の協力を得て撮影した。リアリズムを大切にしたかったからだ。恋とケンカ、登場人物はみな一直線に進む。在日の女性を好きになったら、朝鮮のことを素直に学ぶ。それが青春だと思う」
韓流ブームの一方で、日本では拉致事件をきっかけにすさまじい北朝鮮バッシングが続いている。その状況に対するアンチテーゼも込められていると、井筒監督は強調する。
「北への経済制裁が声高に語られているが、日本はどこに歩みたいのか、戦争をしたいのか、平和外交を実現したいのか政策が見えてこない。平和のために何をすればいいのか、政府も国民も冷静に考える必要がある。北京で毎日でも会談し、真相を究明する努力をすべきだ。植民地時代に強制連行されて無縁仏となった朝鮮人の問題も考えないといけない。日本は植民地支配を忘れてきたが、『許すけれど忘れない』という韓半島の人たちに、誠実な対応を見せてほしい」
「こういう危険な風潮に対するアンチテーゼの意味も込めて、今回の映画を作った。韓国、北朝鮮、日本、そして在日の若い人たちが、新しい外交官として政治に参加し、新しい時代を作ってほしい。差別がなくなってきたというが、日本人は心のどこかに差別感情を受け継いでいる部分がある。そういうものを見つめ直してほしい。日本人はもっと在日のことを知る必要がある。そういうことを映画を見た後で考えてくれればうれしい」
◇あらすじ◇
1968年、京都の高校に通う康介は、京都朝鮮学校に通うキョンジャに一目惚れする。キョンジャが練習していた「イムジン河」をギターで練習し、キョンジャと心を通わせたいと願う。この2人の交流を軸に、朝鮮学校生と日本の高校生との対立、イムジン河に込められた南北分断の悲しみ、在日の歴史などが語られていく。