ここから本文です

2006/03/17

<在日社会>10代が台頭・スケート大国目指す韓国

  • zainichi_060317.jpg

              金妍兒(キム・ヨナ) 90年9月5日生まれ。
              身長161㌢、体重43㌔、修理高校

  • zainichi_060317-1.JPG

              金裕臨(キム・ユリム) 90年2月3日生まれ。
              身長163㌢、体重57㌔、議政府女子高校

 韓国スケート界が次々と快挙を成し遂げている。先日のトリノ冬季五輪で韓国勢は11個のメダルを獲得して圧倒的な強さを世界に見せ付けた。

 また、先日のフィギュア世界ジュニア選手権では金妍兒(キム・ヨナ)が韓国初のフィギュア世界チャンピオンに輝き、金裕臨(キム・ユリム)が韓国スピードスケート史上30年ぶりに世界ジュニアのトップに立った。在日3世の金彩華(キム・チェファ)もフィギュア世界ジュニア選手権で7位入賞した。

 9日、スロベニアのリュブリャナで行われたフィギュアスケートの世界ジュニア選手権で韓国初の優勝を勝ち取った金妍兒は、母と二人三脚でつかんだ勝利だった。

 金は7歳の時、結婚前に一時期スケートをしていた母パク・ミヒさんに連れられて初めてスケートリンクに立った。幼かった金は何度も尻餅をついてスケートを楽しんだが、これが長く苦しい道のりの始まりとなった。

 小学校3年生の時から本格的にフィギュアスケートを始めた金は、朝8時半に自宅を出て、ランニングとストレッチで一日の練習を始める。その後3時間にわたって昼のトレーニングを行い、再び夜10時からスケート場に足を運ぶ。練習が終わるのは午前1時を回る。

 その間も母親のパクさんは常に行動を共にし、他の選手のビデオを分析したり、監督と金選手の動作を相談したりと余念がない。 

 スランプの時期もあった。小学校6年生の時、3回転ジャンプが決まらず選手生活を断念しようと諦めかけた。

 しかし、その年の全国大会で見事3回転ジャンプを決めて優勝し、完全に自信を取り戻した。

 韓国内で頭角を現した金は、05年の世界ジュニア選手権で2位に入るなど海外にその名をとどろかせた。

 ISU(国際スケート連盟)は金妍兒を日本の浅田真央と共に世界フィギュアをリードする有望選手として位置づけている。

 身長161㌢、体重43㌔の細身で、手足が長く表現力に優れている。浅田が若干15歳にして高度なトリプルアクセルを成功させる一方で金は表情での演技と共に芸術的なテクニックに優れている。

 金は15日、凱旋帰国し、京畿道教育庁を訪れて結果を報告するなど忙しい一日を過ごした。今まではスポンサー探しに苦労していたが、今後はそういったこともなくなりそうだ。

 金妍兒人気に沸く韓国では早くも次期五輪への期待が高まっている。
 
 韓国スピードスケートの新星、金裕臨が韓国スピードスケート史上30年ぶりに世界ジュニアのトップに立った。

 金裕臨は13日午前、ドイツのエアフルトで行われたスピードスケートの世界ジュニア選手権で1位に輝いた。
 
 韓国選手が世界ジュニア選手権で総合1位になったのは、1976年にイ・ヨンハが3000㍍と5000㍍で優勝し、男子総合1位に輝いて以来30年ぶり。

 金は大会最終日の女子3000㍍で4分23秒44(13位)、総合162.759点を記録、チェコ選手を0.058点差で抑えて総合優勝した。

 6歳の時に初めてスケートに接した金は当時、卓越したバランス感覚で周囲を驚かせた。

 小学校2年生の時に代表に選ばれ、11歳の時に全国大会の500、1000㍍でそれぞれ2位に入り、韓国内で名前が知られるようになった。

 一時は家計の事情で苦境に立ったこともあったが、生まれつきの根性で最後まで諦めなかった。若干15歳にして大活躍を見せており、無限の可能性を持った次世代の選手として注目を集めている。

 15日、帰国した金は、「イ・ガンソク選手や李周娟選手のおかげでスピードスケートに関心が集まって嬉しい」と語り、3時間後に帰国する金妍兒については「自分よりずっと有名な選手と比較されて光栄」と話した。

 次の目標は、07年に行われる冬季アジア大会でのメダル獲得。

 フィギュア世界ジュニア選手権で7位入賞した金彩華さん(17、キム・チェファ)は、在日密集地の大阪生野区出身の在日韓国人3世だ。現在、大阪女学院高2年生でスケートの京都醍醐クラブに所属している。

 「ジャンプのミスがなかったのが良かった。ショートプログラムは10位だったが、フリーで5位に入り、トータル7位になった。世界レベルで活躍できる自信を得た」と話す。

 金さんは昨年、フィギュアスケート4大陸選手権に韓国代表として出場し、注目を浴びた。日本に居住し日本の国内チームに所属する在日韓国人選手が、フィギュアスケートの韓国代表に選ばれたのは、初めての快挙だった。今回は2度目の代表入り。

 7歳の時にスケートを始め、「京都醍醐クラブ」に週6日通い、全日本コーチでもある濱田美栄先生に指導を受けている。

 2003年に全日本ジュニア選手権の近畿地区、西日本地区予選を経て全国大会に出場、2004年2月には韓国の国体にあたる冬季全国体育大会に初出場、在日韓国人選手として初めて金メダルを獲得した。