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2006/12/08

<在日社会> 「在日女性文芸協会」高英梨代表に聞く・在日女性文学を発掘

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    コ・ヨンイ 1922年釜山生まれ。1925年渡日。作家。著書に『ガラスの塔』(思想の科学者、ソウルのイハク社より韓国語版)。

 在日女性有志による「在日女性文芸協会」が、このほど設立された。同会は、文芸総合雑誌「地に舟をこげ-在日女性文学」(社会評論社、1200円)を発刊。「賞・地に舟をこげ」を設け、在日女性文学の発掘を進めていく。代表の高英梨さん(84)に話を聞いた。

 ――在日女性文芸協会を始めた動機は。

 これまで在日社会では様々な文芸雑誌や単行本が出版されたが、作品の大部分は男の視点で書かれたものだった。在日について存在の定義を立てるのは男で、その内側で生活を支えるのが女性という役割で、在日女性の表現がパブリックな形で出たことはなかった。

 しかし、男性よりも女性のほうが、物事を見るときに包容力、生命力がある。男は理念に流されやすいが、女性は理念と現実と両義性を持って活動する。そのしなやかな判断力を大切にしたいと、ずっと考えてきた。「在日女性の実存」から、日本、韓半島、在日社会を見つめていけば、新しい文学の地平が生まれてくると思う。

 ――「地に舟をこげ」の意味は。

 この間、韓流ブームで韓国へのイメージも大きく変化した。サブカルチャーの力をまざまざと見せているが、それで在日の歴史を相殺できるわけではない。

 在日女性の歴史、等身大の声を伝えていきたいという願いを込めて、「地に舟をこげ」にした。地に舟をこぐのは困難だが、何とかやり通したいという願いだ。

 ――具体的な運営は。

 編集委員は私のほか、在日女性同人誌「鳳仙花」の元代表の呉文子さんなど、合わせて7人いる。私の自宅を事務所にして、11月末に「地に舟をこげ 在日女性文学」創刊号を発行した。私と日本の女性作家、澤地久枝さんとの対談に加え、小説、随筆、評論、詩などを掲載している。力が足りなかった部分もあると思うが、読者の意見を心待ちにしている。

 それと今後力を入れていくのが、「賞・地に舟をこげ」だ。来年5月末を締め切りに作品を募集し、受賞作品には30万円を贈呈するとともに、来年11月発行予定の第2号誌上で作品を発表する。選考委員は私と澤地久枝さんが務める。小さな賞ではあるが、在日女性文学への関心を高める一助になればと創設した。

 ――高さんのこれまでの経歴は。

 韓国の釜山で生まれ、3歳の時に日本に渡ってきた。母は熱心なカトリック信者だったが、封建的な家庭でなくカトリックの家庭に育ったことで、常に自己の良心に問いかける機会を持ったことが、後の生活に大きな影響を与えたと思う。

 戦争が終わる少し前に日本の男性と結婚した。戦後、夫は会社に勤務し、私は家庭生活を営みながら、在日としての生き方を模索してきた。

 1968年、金嬉老事件が起こったときは、公判対策委員会に加わった。民族差別が引き金となり殺人を起こした金嬉老事件は、大きな衝撃を私に与えた。金嬉老の中に同じものを見たからだ。

 「文芸首都」などに参加し、金達寿、金泰生氏と交流を深め、また佐多稲子さんから指導を受けたが、金嬉老の下獄が決まった70年代末頃からしばらく書くことが出来ないでいた。長い沈黙を経て、やっと自分を再検証できたと考え、10年ほど前から活動を再開した。

 ――在日女性文学への思いを最後にもう一度お聞きしたい。

 在日は植民地支配の落とし子だ。1世の女性たちは文字を習う機会も奪われてきた。この現実を直視することから在日女性文学は始まると思う。在日女性が自らの力で文学基金を作ったことは、これまでなかった。だからこそ、編集委員全体がより責任を感じ、運営していきたい。

 1年に1冊発行し、最低10冊は出す計画だ。私は後何年生きられるかわからないが、少なくともこの3年間に地ならしをしておきたい。他の文学賞のように、数多い応募の中から作品を選べるぐらいに持っていきたい。

 在日女性文学が翻訳され、世界のコリアン女性に読んでもらえることも願っている。多くの在日女性の応募、そして基金への支援をお願いしたい。

 *同会は℡042・486・8129。