熊本市現代美術館の南嶌宏館長が、2002年6月、フランクフルト空港で出会った韓国女子高生の歌声に「人間を信じる勇気をもらった」として、彼女たちとの再会を待ち望んでいる。韓国、そして彼女たちに感謝の気持ちを伝えたいとする南嶌館長の寄稿を紹介する。
ちょうど4年前のことでした。韓日共催のサッカーのワールドカップも終盤にさしかかっていた頃です。2002年6月後半のある日、私はドイツのフランクフルト空港にいました。10月に開館を予定していた熊本市現代美術館の開館記念展の最終準備のために、ヨーロッパ各地での仕事を終え、日本に帰るその帰途にあったのです。
私は疲れていました。しかし、それは肉体的な疲労というより、その前年の9月11日の、ニューヨークの世界貿易センターを襲った同時多発テロ事件が、世界に深い傷を残したまま、依然、誰もが得もいえぬ恐怖と不安を抱える中、その世界の縮図ともいえるフランクフルト空港にあって、着ているもの、履いているもの、身ぐるみすべてを剥ぎ取るような、人間の信頼を疑う態度によって、その空港にいるすべての人間の心が疲れ切っていたというべきだったのです。
すると、そのときです。その重々しい雰囲気の出発ロビーで、帰国の便を待っていた高校生とおぼしき、韓国の15人ほどの女学生たちが、引率の男の先生の指示ですっと立ち上がり、その先生の指揮で歌を歌い始めたのです。それはまるで天使が舞い降り、一斉に歌を歌い始める、そんな映画の1シーンのようでした。
時間は止まり、出発ロビーはしーんと静まり返って、ソファーや椅子、あるいはロビーに座り込んで、重くうつむいていた人々が、次第にその透明感溢れる歌声に心を奪われていったのです。
もちろん、それはただ、韓国の女子高校生が空港で歌を歌った、というだけのことだったのかもしれません。しかし、世界が不安に包まれ、誰もが口を閉じ、人間を信じる力を失っていたときに、わずか3曲とはいえ、彼女たちの歌声は、その場に居合わせたすべての人間に、「もう一度、人間を信じてみよう。人間はすばらしい」と、勇気を与えてくれたに違いないのです。
私たちがその魂の救済に、世界中に響き渡るような拍手をもって応えたことはいうまでもありません。
私はそれからずっと、人間を信頼するその力が、政治でも経済でもなく、こうした純粋な勇気の中に宿ることを教えてくれた、その先生と彼女たちのことを忘れることがありませんでした。
そして、いつか機会があったら、彼女たちと会って、あの日、フランクフルト空港の出発ロビーにいた人間を代表して、お礼をいいたいと思い続けてきたのです。
その間、私が勤める熊本市現代美術館も、その10月12日、人間の態度を問う「熊本国際美術展-ATTITUDE2002」という記念展で、無事開館することができました。
もちろん、その「ATTITUDE」というタイトルに、あの日の彼女たちの姿が投影されていたことはいうまでもありません。それは私自身が世界に対して差し出した、小さな歌としての展覧会でもあったのです。
あの日から4年が経ち、再びサッカーのワールドカップの年を迎えました。残念ながら、世界は依然として混迷の中にあります。しかし、そうした時代の中にあっても、あの日のフランクフルト空港で聞いた歌声が、今もなお、心の中に響き渡り、私を励まし続けているのです。
あの天使たちを生み育ててくれた、韓国に感謝を捧げつつ、フランクフルト空港の天使たちに、この一文を贈りたいと思います。